柴又01

空を見上げると、何の疑いも湧かないほどの秋空です。

天候が人のこころの在り様に影響することは確かです、

だって、この空を眺めているだけでこころが爽やかに

なるじゃないですか。

お天気に誘われてついふらふらと歩きたくなるんですね、

もちろん、当てもなく町を歩くのもそれはそれで楽しい

のですが、こんなに晴々とする日は、なんだか祈りたく

なるんです、

別に、こうなればいいというつもりではなくても、

祈り の場所というのは何処にでもあるのでしてね。

柴又02

日本人は、神も仏も何でも一緒くたにする国民

なんて想われておりますが、

ちょっと待ってくださいよ、

どこの町へ出かけたって、神社はあるし、お寺さんはあるんです、

ひょいと、御参りすれば、なんだか心がすっきり出来るんですね、

一神教を信じている方には理解できないかもしれませんが、

もっと判りやすく言えば、神社やお寺でなくても、

日の出の太陽に向かってだって祈ることが出来るし、

天高く聳えた樹にだって祈ることができるのです。

柴又03

日本人は、本来 祈りの民 なんですね、

人の祈る姿ほど美しく感じることはそうはありませんですよ、

細かく見ていると、礼と拝をきちんと分けているんです、

私がお祭りに出かけるのは、この礼と拝の違いを神主さんが

きちんと其の祈る姿で教えていただけるからなんです。

二礼二拍一礼とか、二拝二拍一拝は神社の祈り方じゃないの

といわれるんですか、

日本人には祈る時は、神社もお寺も区別しないのです、

要するに、心の中で祈りを唱えて、

その祈る姿に表すのが 礼であり拝なんです、

柴又04

別に アーメンと十字を切らなくても、

きっと神様は心の中まで観ていてくださる思うことが

出来るのが日本人なのかもしれませんですよ。

手と手を合わせるのは、何の敵意はありませんという姿を

現しているんですね、

こぶしも作らないし、武器も持たないという姿が 祈る姿なんですよ。

目の前で、ご老人の祈る姿を見せていただいていると、こちらまで

清々しい気分になれるではないですか。

柴又05

今は一大観光地になってしまった柴又帝釈天、

でもね、夕暮れが近づくと、観光地から普段の顔に戻り始めるのです、

そんな時間を待っていたように、近所の方々が祈るために山門をくぐって

くるのです、

アタシはこの時間が一番大好きでしてね、

生活の中に祈りが何の疑いも無く溶け込んでいるからなんです、

「ころっと行かしてください」

なんてお願いしているのかどうかは外からわかりません、

歳をとると、若い人には理解できない考え方が浮かんでくる

ものなんですよ、

柴又06

それじゃ長生きしたいか というと、

苦しまないで ころり といけたらそれが一番なんだと、

その婆さまは真剣な顔で呟くのです。

さてと、旅の無事をお礼申し上げて、参道を戻ると、

いつの間にか観光客は姿を消し、そろそろ店じまいの時間です、

勤め帰りの人々が戻ってまいります、

この街にも普通の生活がきちんとあるのですから・・・

柴又07