秋逍遥01

毎日飽きもせずそこいらの横丁をふらふら歩き廻るのは

「散歩」であり、とても「逍遥」とは呼べないでしょうね、

でも、そこらをぶらぶら歩くことを「逍遥」なんて言葉に

置き換えるとなんだか、文学的な雰囲気が出てきそうな

気がしませんかね、

都会の隅をよろよろと歩いていると、どうも心が自虐的になって

しまうのはどうしてでしょうかね、

秋逍遥02

散歩というのはおよそ生産性の伴わない行為で、

経済活動第一の世の中にあっては、塵か屁みたいな行為で、

それでもその益にも成らない代わりに、邪魔にもならない

だろうというのがよくてついふらふらと歩き廻ってしまう

のですがね、

少し空しい気分で歩いている時にふっと浮かんだのが

その「逍遥」というわけで、

そうだ、これは逍遥なんだと思うとなんだか同じ歩くだけの行為が

意味を持ってくる気がしてきたんですよ、

秋逍遥03

中身は変わらないのに、包装紙を買えて意味ありげに

見せるようで、なんだか気が引けるのはどうしてだろう・・・

そうか、代わり映えのしない下町の横丁をぶらぶらしているからだ

と歩きながら考えたのはつい昨日のことなんですがね、

「そうだ、逍遥に相応しい場所へ行けばいいのだ」

と相変わらず単純な発想で想い浮かんだのが秋を感じられる場所

でしてね、

秋逍遥08

日光や軽井沢あたりの紅葉はメジャー過ぎて観光になってしまう、

だいち、人と車を見に行くようなものだしな、

俗世間とはかけ離れた場所は・・・

要するに、夏の間は人・人・人で溢れかえっていた観光地でも

紅葉にはまだ早く、人の少ない場所は・・・

ありましたよ、

思いついたらすぐに飛んで行くあたりは、ちょっと逍遥とは言えませんが、

行ってしまえば後は気分が出るだろう、と相変わらずのフーテンオヤジの

秋逍遥でございますよ。

秋逍遥04

まるでこの世の終わりかと想うほど静かな忍野の里には、

流れる水音意外は鳥の声もない、静かなものですよ、

みやげ物屋は早々と店仕舞い、そりゃ観光客が居なくなれば

店を開けてる意味がありませんですからね、

曇り空の隙間から、今日の日の終わりを告げるように

薄っすらと紅色に染まった秋空もあっという間に夕暮れを迎える、

秋逍遥05

山中湖の辺りには、いつもの白鳥も姿を見せず、

小さな波音だけが、聞こえている、

「これぞ秋逍遥なり」

などとひとり悦にいっていると、湖からの風

「なんだこの冷たさは・・・」

誰も居ない店の温度計は12度を指している、

ちょっと寒すぎやしませんかね、

秋逍遥06

西の空を区切るように見えるはずの富士の山も、

本日は厚い雲の中、

まあ、富士が姿を現すと、気分が晴れやかに成りすぎて

逍遥というには大袈裟になるので、雲に隠れているほうが

逍遥気分は高まることを発見、

こうして、あての無い散歩は、何か高尚な行為に格上げされるので

ございますよ。

逍遥は、自然の中に身を置いてこそ叶えられる行為でありますな。

紅葉は無くても、十分に秋を満喫した旅の途中でございます。

秋逍遥07