南会津はぐるりを山々に囲まれ、そこに横たわる

山や川には自然の動物たちの楽園であった。

その山々に鹿を追い、魚を求めて移住してきた古代人が

最後に辿り着いたところがこの山々に囲まれた南会津の地

ではなかったのでしょうか。

またその山間に営々と日々の営みを続けている集落も

変わることなく今も其処に在り続けているのです。

久しぶりに水引の集落を訪ねました。

前回の訪問からもう三年が過ぎていたのですね。

集落が生き続けるためには必ず次の世代を生み出さなければ

やがてその集落から人はいなくなる 

ということはれっきとした事実です。

隔離された地形の中で生き続ける集落が集落としての機能を

有するためには、通婚圏の範囲ということに絞ってみると

最低でも百戸の集落がなければ成り立たないという。

水引の集落は31軒で昔からほとんど変わらないという。

とすれば、目の前の山を越えて通婚圏が成立している

ということになるのです。

現代の交通事情からしか判断しない都会人からみれば、

この水引の集落は山の中の孤高の集落のように感じてしまう

のですが、かつて徒歩だけが移動の手段だった時代は

平地を歩くことと山道を歩いて峠を越えていくことは

当たり前の日常だったのです。

少し時代を遡ってみれば、水引は目の前の帝釈山塊を

峠で越えれば江戸への最短距離であったことを

もう一度認識してみれば、

31軒の集落が生き続けてこられた原因を知ることが

できるでしょう。

山里に住む人たちは、

必ず何かしら身体を動かしているんですね。

特に老齢化が顕著な山里ほど何かしら仕事を

しているんです。

猫車(一輪者)に葦を満載したオヤジさんが

畑から戻ってきた。

「オヤジさんそれ何に使うの」

「これかい、腐らせて畑の肥料にするんだよ」

「そういえば此処に来る途中の萱の畑に干してあったのは・・・」

「まだ茅葺の家があるだろう、その屋根を葺き替えるためにああして

 少しずつ溜めておくんだが、もう近頃は屋根を葺き替える家も無くなったな」

人力で賄えるうちはそれを続けるだけだと確りとした足取りで帰っていった。

大きな笑い声が聞こえる軒先を訪ねると、二人の老婦人が

なにやら楽しげに語り合っている、

しかし手のほうは盛んに何かを摘み取っている。

「これは何を摘み取ってるの」

「小豆だよ、こうしてさやの中に入ってるのをより分けるんだよ、

 これが手間がかかるんだ」

「そういえば、三年前に訪ねてきた時はそこの藁葺き屋根は健在

 だったのに 今見てきたら屋根が落ちていたよ」

「ああ、あれはこの人の家だよ、今年の冬に潰されたんだ」

「修理が大変じゃないか」

「どうせ一人暮らしだもの、住めるうちは大丈夫だよ、それに

 アタシもそんなに永くないからさ」

そういうと けらけらと笑った。

どうやら自然が与えた試練は黙って受け止めるというのが

此処で生きるための大切な要素なのだということを暗黙のうちに

了解しているのでしょうね。

手押し車の婆さまが孫を学校まで迎えに行って帰ってくるところに

出合った。

孫の送り迎えが婆様の仕事らしい。

孫娘が盛んに婆様を気遣う姿がやるせない・・・

田代山の上にかかっていた雨雲が山から降りてくると

間もなく集落に雨が落ち始めた。

筵の上に広げられていた小豆の束を手際よく片付けると

「よいしょ」

と掛け声と共に二人は立ち上がる

「それじゃ続きは明日な」

それぞれの家に帰っていった。

明日が晴れ間なら、今日の続きの小豆の選別を

また始めるのでしょう、

それが生きている証になるはずだから・・・

2007年10月 舘岩村 水引にて