未だ桜の後追いを続けているうちに、空には鯉幟が泳ぎ

街には祭り囃子が流れ始めてしまいました、

下町の夏祭りは下谷神社からというのが下町っ子の毎年のケジメ

でしたのに、あの源さんがね

「烏森の祭りが始まってるよ」

なんてニヤニヤしながらたきつけるんでありますよ。

「二年に一度らしいぜ」

すると来年は見られないということになるじゃないですかね、

ズキン ズキンと祭り好きの魂が疼き始めてしまいましたよ。

烏森神社といえば、あの密集した新橋の飲み屋街の

ど真ん中におられる神様でして、その参道の狭さ

といったら人がやっと摺れ違えるくらいですよ、

どうやってあのデカイ神輿を出し入れするのか、

そりゃ一度は目にしたいじゃないですかね。

おっとり刀でやってまいりました新橋は烏森、

昔は桜田村と言ったんですよ、

まんざら桜に縁が無いわけじゃない 

などと無理やりコジツケてウロウロすれば

既に陽は傾き始め、宮入り前の最期の一瞬に

みんなの想いが集まっているではないですかね。

久し振りに聞く江戸囃子はいいものですね、

こちらの祭りは五月の連休に行われるとのこと、

これは東京の夏祭りの走りですよ。

あの平将門が乱を起こした時、鎮守府将軍藤原秀郷が

稲荷神社へ戦勝の祈願をして見事に将門を抑えることが

できたことに感謝して此処桜田村に創建したという

由来を聞くと、

将門贔屓としては少し気に入らないところがありますが、

もう千年も昔のことですから祭りを楽しまなければ

バチがあたりますよ。

それにしてもデカイ神輿ですね、

お社は屋根の各面に切り妻が載っており、

八つ棟に見える珍しい型で、四隅の蕨手に烏の姿、

真ん中の鳳凰とともに四隅の烏が舞い踊るようじゃないですかね。

お囃子が最高潮の合図のように高らかに鳴り響くと、

いよいよ宮入りです、

何度も行ったり来たりを繰り返し、最後の拍子木が打たれ、

無事宮入りが歓声と大拍手の中で終わりを告げると、

みんなの顔に安堵の表情が浮かぶ。

観客も三々五々散らばっていく中で、アタシはどうしても

気になることがありましてね、

このデカイ神輿をどうやって神社の神輿庫へ担ぎ入れるのか・・・・

神輿はその場で、飾り紐が外され、蕨手に載っていた四羽の烏も

外される、

大勢の担ぎ手の厚い気持ちがまだ残る担ぎ棒が外されると、

人の手によって次々にその狭い参道を神社へと運ばれていく。

四人係りで運ばれる担ぎ棒を肩に載せた瞬間、

それはまるで条件反射のように四人がその狭い路地の中で

揉みの姿勢を見せたのです、

まるでいたずら小僧のうれしそうな顔でね。

みんないつまでも神輿に触っていたいのですね。

神社から五人掛かりで台車が運ばれてくる、

鳳凰は多分50キロくらいの重さがあるのでしょうか、

二人掛かりで運ばれていく、

こうして飾り物が外された神輿は台車に載せられ

横の道から鳥居の前まで運ばれてくる、

しかし此処からが難題山積、なにしろ階段があるのですよ、

クレーンを使うなどとはもってのほか、

全て人力によって行われるのでして、

そこは昔からの知恵の結晶が随所にみられるのでしてね、

テコを応用し、後は人界戦術で見事階段を乗り越えると

この狭い境内で向きを変えるのにまた一苦労、

縄で引き上げる者、後ろからひたすら押し上げる者、

要するに、みんなの知恵と力を合わせると不可能はない

ということなんですね。

本殿では重要無形民俗文化財 若山胤雄社中による

神楽の奉奏が鳴り響く中、

いよいよ最後の難関、神輿庫への宮入りです。

斜めに渡されたコロの役目を持たせた太い柱の上を、

神輿が渡っていく、

勿論、最後の力を振り絞っての人だけの力ですよ、

引き上げる人と押し上げる人の正に阿吽の呼吸が神輿を

引き上げる力になるのですね、

無事神輿庫に収まった瞬間一斉に拍手があがった。

この狭い参道を神輿が通る理由が判りました、

全て人の輪と、昔から受け継いだ知恵の結晶と全てを可能にして

そして神の加護がそのことを可能にしていたのですね、

現代人からみれば何と効率の悪いことと映るかもしれませんが、

もし、クレーンやジャッキを持ち出したら、誰も力を合わせることなど

しなくなるでしょう。

全てに金銭が優先される世の中で、もし祭りが無くなったら、

それこそ日本人は守銭奴になりさがるでしょう、

お金儲けのためではない行動ができる唯一の場が祭りなんですよ。

それでなければ、こんなに爽やかな顔ができますか。

今年も始まった東京の夏祭り、また忙しくなりますよ。