下谷神社に続いていよいよ浅草三社祭の始まりです。

昔は神仏混交で観音様と神社が一緒でしたから、

観音祭りとか浅草祭りなんて呼ばれていたんですよ、

ところが、あの明治維新で神仏分離令なんていう

お上のお触れでお寺と神社に分けられてしまいましてね、

それからは浅草三社祭と名を変え、船渡御から三基の神輿を担ぐ

神輿渡御になったという話でございます。

いつもの散歩のつもりで歩き出せば、のどかに(浅草にしてはですよ)

祭り支度が始まっておりましてね、

浅草には一年のけじめが二度ありまして、正月と三社祭、

各町内には御休所が作られ、居囃子の舞台も整い始めておりますよ。

正月と三社祭の違いはね、三社祭になると、昔の浅草が何処からともなく

浮かび上がってくるのですよ。

町内には昔の名前が現れるんです、花川戸、聖天、猿若、象潟、柴崎・・・

祭り提灯や祭り半纏の襟元には誇らしげにこの昔の町の名前が浮き上がって

くるのです。

そりゃ祭りは生き物ですから、時代と共に変化していくのは

仕方ありません、でもね、祭り日も三月から五月に変わるし、

17日、18日と決められていた祭り日も、人間様の都合で第三金土日に

変わるは、さらに今年はサミット警備で早まるし、神様には申し訳

ありませんですよ。

まあ浅草は案外変化には拘らないで受け入れちまうのかもしれませんがね。

なにしろ祭りが始まっちまうと、理屈なんかどこかへ吹っ飛んじまうのが

浅草という町、

「それ、祭りダ、祭りダ!」

と威勢のいい掛け声が響き渡るのでございます。

三社様の神輿庫では三基の本社神輿にサラシを巻く支度が始まっていますよ、

その仕草を取り巻いた人たちが固唾を呑んで見つめているのです。

そう祭りは、この支度をするところがなかなか面白くてね、

今年はアタシの居る町内は、三之宮様がお通りになるので、今から手を合わせて

無事に収まりますようにお願いして、散歩の続きです。

そういえば、祭り衣装というのは見れば見るほど面白いですね、

いくら毎日が祭りみたいな浅草だって、ふだんふんどし姿で仲見世を

闊歩したら、さすがの警察官だって注意するでしょうよ、

それが、祭りというだけで、誰も注意するどころか、ニコニコしながら

若い娘さんが一緒に写真におさまったりするのですから祭りとは

暗黙の力を備えているものですな。

江戸の昔、一日で千両のお金が落ちた町が三箇所あったそうで、

千両というと現在で三億くらいですかね、その場所は

日本橋の魚市場、浅草の芝居町、そして遊郭吉原だったそうで、

それぞれ人が沢山集まる場所で、そのお金を落としていったのは

ほとんどが町民と呼ばれた普通の庶民だったんですね。

町と云うのは庶民が盛大にお金を使うことで繁栄するというのは

昔も今も同じなんですね。

(お祭りじゃないとお目にかかれませんですよ)

その三箇所の繁華街の二箇所が浅草にあったのですから、浅草が

江戸の大繁華街だったのは歴史的事実なんですね。

その庶民が集まっていた町浅草の祭りなんですから、そりゃ桁外れの

大騒動になるわけですよ。

庶民の憂さ晴らしの意味が強かったのが浅草の祭りというのですから

今でもその心意気は伝え続いているのですね。

知らず知らずに町の中が昔の町にのっとられるのでしょうかね、

中で祭りの支度をしている人たちも、いつのまにか江戸時代の昔人に

すり替わっているのですよ。

もしかしたら祭り半纏に手を通すと、顔つきまで昔風に変わってしまうのでしょうね。

神輿に取り付くのは体力の有り余ってる若衆に任せて、老人組は静かに祭りを

味わうのですよ。

(あたしんところの町内神輿でございます)

昔から浅草じゃ祭りの間、仕事なんかしていると変人扱いされるのが

セキノヤマ、もう気の早いのは、半纏にねじり鉢巻で何処からとも無く

集まってまいりますよ。

三社祭の見どころは、最終日の本社神輿の宮出し宮入りが脚光を

浴びるばかりですが、実は初日の夕方から始まる宵宮が楽しいのですよ。

なにしろ一年待ってやってきた祭り、みんな気合が入ってますよ、

それに元気はつらつ疲れの無い身体には、気持ちが高ぶって実にかっこいい

神輿し担ぎが彼方此方で繰り広げられるってわけですよ。

さて辺りが暗くなり始めるといよいよ祭り気分が盛り上がり始めます、

各町内の御休所では宵宮が始まっておりますよ、

明日は町内神輿連合渡御、そして最終日の本社神輿巡行へと

祭りが動き始める浅草の宵でございます。