(小倉駅前)

広島に原爆投下が行われた二日後、すなわち1945年8月9日

再び原爆投下作戦が行われた、目標は第一目標が福岡県小倉市、

第二目標が長崎市であったという。

午前9時40分、大分県姫島方面から小倉市の投下目標上空へ

爆撃航程を開始し、9時44分投下目標である小倉陸軍造兵廠上空へ、

当日の小倉上空を漂っていた霞もしくは煙のために、目視による

投下目標確認に失敗する。小倉上空での3回もの爆撃航程失敗のため

残燃料に余裕がなくなり、目標を小倉市から第二目標である長崎県

長崎市に変更し、午前10時30分頃、小倉市上空を離脱した。

そして人類史上実戦で使われた最後の核兵器が長崎に落とされた。

当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、

建物は約36%が全焼または全半壊した。

仮定の話になるが、もし小倉市に原爆が投下されていたら、

関門海峡が丸ごと被爆し、小倉市および隣接する戸畑市、若松市、

八幡市、門司市、さらに本州の下関市まで被害は広がり、犠牲者は

広島よりも多くなっていたかもしれない。

広島を後に向かったのはその小倉でした。

何度も福岡博多へは旅していても、

小倉はいつも素通りしてしまう街でした。

小倉についての知識といえば、「無法松の一生」と

坂本冬美の歌「あばれ太鼓」と松本清張の生まれ故郷くらいという

まるで無知の塊でありますよ。

迷わず広島から新幹線で小倉駅に降り立つ。

小倉市は門司市・戸畑市・八幡市・若松市と合併して北九州市と名を変え

その中心地として大都市なのですね。

門司へ向かうつもりでへ在来線に乗り換えようとすると、

鹿児島本線は朝からの架線事故ですべての列車が運休になっていた。

列車なら三駅である門司港駅までバスに揺られる、

ところが間違えて門司駅に来てしまった。

相変わらず列車は動いていない、

仕方なくタクシーで門司港へ、

関門海峡を挟んで本州下関が意外な近さで迫ってくる。

あの広島の宇品港とは海でつながっていることを

実感できるのです。

ここは瀬戸内海の出入り口、この国の歴史を紐解けば、

幾多の戦の舞台にもなっている地なのです。

関門海峡を横断するトンネルや橋などまだなかった明治時代、

金融機関や商社・海運会社の支店が相次いで進出し、

外国航路の拠点および貿易港として数多くの物語が

残されているのです。

明治36年生まれ(アタシの親父と同じ年)の小説家林芙美子の記念館を

訪ねてみる。

彼女もまた一人旅を愛した旅人であった。この門司港から東南アジアへの

船旅を慣行している。

レトロな観光目的の街へと変貌している姿の中に、

変らないものを探してみた。

飛行機が空を飛び、列車は250kmの速度で走る現代に昔と

変わらないものがあることを門司港で見つけたのです。

それは海の流れと空の雲、人間がどんなに振る舞ってもできないモノ、

それが海と空、目の前で夕焼けに染まっていく空を見つめながら、

林芙美子が憧れたであろう海の彼方へ思いを馳せてみる。

すっかり夕闇に覆われたむかし町門司港駅へ向かうが、

まだ列車は動いていない、

勤め帰りの乗客がレトロな駅で無言のまま

列車が走り出すのをじっと待っている。

すっかり暮れた冬の宵、

「長らくお持たせいたしました、

  二番線から直方行きの列車が発車いたします」

待ち草臥れた乗客は無言のままゆっくりとホームに向かう、

走り出す人など誰もいない。

小倉駅に向かって走り出した列車の中に安堵の空気が投げれて

おりました。