「国中第一の大市にして、呉服屋を始め麻苧、古着屋、並びに小道具、

 小間物、その他よろずの諸商人、二通り、三通りに仮の見世店を

 しつらえ、ひさぐこと誠に喧し・・・」

実はこれはアタシの生まれた町で江戸時代から続いている農具市を

行徳の名主が『葛飾記略』に記されたものなんです。

あれはアタシ等がまだ小学校へ上がる前のことですから、終戦後6~7年後

の頃でしたかね、

この大市が開かれていたのはみんなが八幡様と呼んでいた葛飾八幡宮の

9月の祭礼に開かれる 農具市のことなんです。

当時は現在のように住宅地が密集していたわけではなく、確か人口も

十万人も居なかったくらいでした、(現在は48万人ですよ)

まだ農家が沢山残っていてその農家の人々が農具や古い着物、多分、

農作業で擦り切れてしま作業着を繕うために古い布地が必要だった

のでしょうね、

そんな古い布地を誰言うことなく ボロ布なんて呼ばれていたんです、

そのボロ布を扱う店が集まる市を 「ボロ市」と呼ぶようになっていたんです。

終戦後まもなくでしたから、生めよ増やせよで子供の数が急激に増えましてね、

五人兄弟なんて当たり前、中には十人兄弟姉妹なんていう家も珍しくなかった

んですよ、

なにしろ戦争で家を焼かれ、身ひとつで東京の隣町へどっと流れて

きたんですから何処を眺めても子供の姿ばかりでしたね。

食事といったって、食器だって人数分ないわけで、食べるものも

 すいとん なんていうのが当たり前で、米の飯などお眼にかかれない

時代でしたね、

それでも子供たちには、年に一度のボロ市は何よりの楽しみだったんですよ、

あの八幡様の境内に、お化け屋敷やサーカス小屋が建ち、ほら寅さんみたいな

オヤジさんが、面白い啖呵を切って、万年筆や、なんにでも使える七つ道具の

ついたナイフ、そうそうセトモノ屋のオヤジの啖呵は何時まで聞いてても飽きない

ほど楽しかったですよ、

ご飯茶碗、お皿、どんぶり、果ては箸に醤油差しなんていうのまで、

ずらりと10枚並べてたお皿、値段が段々下がって、

「どうだ、もう一声、半値だよ」

「えーっい、それじゃもう二枚おまけして十二枚、1ダースでどうだ」

「辛抱強い客ばかりだね、よーしあと三枚足して15枚で・・・」

と、それまでじっと我慢を決め込んでいたお母さんがあっちでもこっちでも

手があがると間髪をいれず、その15枚のお皿を新聞紙に包んでお金と引き換えに

渡す、一名分だけかと思ったら、手を上げた人数分をすばやく新聞紙に包んで

お金と交換、子供こころにも、あの家の子は自分のお皿が使えるのかと羨まし

かったですね。

最近のお祭りに出る露店はほとんどが、焼きソバ、お好み焼き、ベビーカステラに

ジャガバターなんていう食べ物屋ばかりですが、あの頃は、食べ物を扱う露店は

ほとんど無く、子供には薄荷パイプに綿菓子、針金細工、ゴム鉄砲くらいのもの

でしたかね。

そういう体験を60年以上も前に体験しているとね、

「ボロ市」の名を聞くだけで、昔にもどっちまうのですよ、

ところが昨年お邪魔した東京の世田谷の「ボロ市」以外にもう一カ所

今も続いているボロ市があると聞いて

電車を乗り換えてやってまいりました西武鉄道 武蔵関駅北口、、

あたしの町の「ボロ市」は時代についていけず今はさびしい市に

なってしまいましたがこちらは「関のボロ市」、

何でも江戸時代から続いているというのですよ、

ものすごい人波に恐れを感じながら潜り込むと、

駅前から日蓮宗本立寺さんに続く道の両側には露天商がづらり、

でも、ほとんどが、焼きソバ、お好み焼き、ベビーカステラに

ジャガバターなんていう食べ物屋ばかりですな、

やっと境内にたどり着くとわずかに昔の農具市を思わせる店が

ちらほら、

そうでしょうね、今はスーパーや○○に行けば何でも手に入る時代で

毎日、市が立ってるようなものですもの、農具並べても商売には

なりませんよね。

とりあえず、読経の流れる本堂へお参りを済ませると、

人波に押されて再び露店の並ぶ市の道へ、

意外にもゲームに夢中で露店には興味を持たないだろうと

想っていた現代っ子が金魚すくいや射的に群がっている光景に

出くわすと、昔も今も子供の好奇心はそんなに変わらないのだと

再認識するとともに、なにやらホッとした気分でございますよ。

時代のニーズを上手く取り込みながら、昔の面影も残すというやり方が

このような大勢の人々の共感を呼ぶのだとしたら、

好奇心を刺激する「ボロ市」の行く末が楽しみになりました。

夜の7時からは、日蓮宗恒例の「練供養」の万燈行列があるらしいのですが

まだ2時間も待たなくてはならないとのこと、この混雑についていけない

老人はすごすごと帰ることにいたしますか。