「よう!なんだい不景気な顔してさ」

「仕事が無くなるてぇことはこんなに退屈な日なんだと

今頃になって身に染みてるよ」

写真が大好きなKさんは定年退職後は大好きな写真を写す毎日を

夢見ておりましてね、毎日名所旧跡を訪ねながら構図を考えたり

やれ露出がどうの、とそれなりに楽しかったのだそうなんですが、

そのうち、何のために写真を写しているのか疑問を感じ始めた

のだそうでね、

「散人さんはそうやって毎日写真写して何年になるの」

「半世紀くらいかな」

「何のために・・・って考えたことないの」

「Kさん毎日息してること意識したことないだろ、写真は身体の一部

みたいなものでさ、何かに感じると自然に指が動いてるだけだから

そんなこと考えないよ」

仕事一途に生きてきた人間の悲しい性はね、何か目的がないと

自分の行動が納得出来なくなるということが往々にして多いのですね。

「Kさん、写真を誰かに頼まれて写しているわけじゃないだろ、

自分のカメラで自分の費用で好きなものを写すことが出来たら

それ以上のものでもないしそれ以下でもないのさ、

だって、自分の写した写真が高く売れないかな、なんて考えて

写しているわけじゃないだろ」

「もし、そうなりゃうれしいけどね」

「誰かに何かを伝えようとしたらまず何から始める?」

「言葉かな、今ならメールもあり」

「絵を描ける人は絵で表現すれば言葉で旨く表現できない部分を

伝えることができるかもしれないし、

楽器や歌声で表現できれば、知らない人までこっちを向いてくれる

かもしれないだろ、一枚の写真はさ言葉に代えたら語りつくせない

ほどの情報が詰め込まれているんだから立派な表現手段になるってことさ」

「これからどこかへ出かけるの、雨ですよ」

「代わり映えしないけどそこらを散歩するだけだよ」

「カメラは?」

「ポケットの中さ」

「一眼レフ使わないの」

「重たくて散歩が重労働になっちまうよ」

「だって写真写すために歩くんでしょ」

「歩くのが楽しいから歩くのさ、散歩は考えたり、乗り物に乗っていたら

気づかないことに気づかせてくれたり、それに、美味しいものに出会ったり

できるじゃないか、そのついでにパチリとやるだけだからカメラは邪魔に

ならないくらいの小さなもので十分さ」

「昨日鎌倉に行ってきたんですよ」

Kさんは写してきた写真を見せてくれた。

「紫陽花ですね、花より人を写しにいったみたいだね」

「みんな元気な老人ばかりでさ、望遠つけた一眼レフを袈裟懸けに二台もブル下げて

三脚にカメラバック、中には交換レンズがびっしり、もうみんな元気な人ばかりでさ」

「体力勝負みたいだね、ところでKさんもその仲間だったということなの」

「うん、何だか年寄り同士が相変わらず仕事の時のまま競い合っているみたいでさ、

もしかしたら会社人間はずーっと競い合わないと生きてる気がしないのかなって・・・」

人は人、自分は自分、比較することから悩みや迷いが始るんだから、

いい加減比較することは止めた方がいいよ、そのほうが楽だからさ」

散歩に歩き出すと、Kさんも一緒に連れていって欲しいという、

自分のペースで歩くから合わなかったら勝手に先に行って欲しいと伝えると

路地から路地を歩きます。

「鎌倉の紫陽花も綺麗だったけど、こういう路地に咲く花もいいもんですね」

独り言なのかアタシに話しかけているのかは分からなかったが、

夢中になっているKさんに写真の楽しさが伝わってくれたらいいな

なんて考えておりました。

「喉が渇いたからそこの喫茶店にはいるけど」

「何だか調子が出てきたのでこのまま写真を写しますよ」

Kさんの後姿に生気が漲っておりました。