「むかしむかしあるところに・・・」

で始まる御伽噺は子供にとっては

驚きや恐ろしさを感じさせるモノでした。

「むかしむかし」っていつのことだろう

「あるところ」ってどこなんだろう

はっきりとわからないことは想像力をいたく刺激する

ものなんですよ。

「ひとむかし」を辞書でしらべると

  時代の隔たりを感じさせる程度の昔

だと書いてありましてね、

よく 十年ひとむかし なんていうのでそのくらいのむかし

なんだろうか、

それでは、むかしむかしは二十年くらい前かというと

この東京では三年もすると街の様子がガラリと変わってしまうのです。

毎日、ふらりふらりと目的もなく歩き廻っているオヤジの目でも

「あれ、空き地になってるけで、ここに何があったかな」

と思い出せないくらい目まぐるしく変化し続ける街 東京。

そんな東京でもあまり変化しない場所もあるわけで、変化しない

ものへのノスタルジーを感じるアタシはそういう町を探し当てるのが

大好きなんですよ。

変化しない町というのは、そこに住む人々の考え方、生き方も変化する

ことを望まないからではないか・・・

足しげく通い続けると、そこで出会う人々のなんともいえぬ優しさが

見えてくるのです。

若い人などは、ある時は、おせっかい に感じることも多々あるけれど

そのおせっかいが優しさから出ている感情だと気付くと、

その町の一角が得もいわれぬ雰囲気につつまれるのですよ。

十年ひとむかしなら、むかしむかしは二十年くらいだろう と

二十年前に写していた写真を引っ張りだしてみました。

「あっ、まだこの景色は今もそのまま残り続けているよ」

と、なにやら嬉しさを感じるのです。

ちょっと待てよ、この写真は二十年前に確かにアタシが写したモノ、

記憶の中の町と今も通い続けている現在の町には

やはり、そのままということはありえないのですね。

店番をしていた婆ちゃんも、アクビしていた猫も

小さな本屋さんも、今はもう居なくなり、店も消えてしまっている。

町並みは残っていても、そこで日々を生きていた人や動物達は

変化し続けていることを写真が克明に写し取っているのですね。

お祭りをたのしみにしていたあの男の子はもういい大人になって

いるだろな、

こうして二十年前の写真を見つめていると、写真はその当時のことを

残したままあり続けるけれど、刻は休むことなく変化し続けて

いるのです。

むかしむかしの二十年前、アタシも二十歳若かったんですよ、

この路地を歩き回っていても疲れることはなかったもの。

今日、同じ路地を歩いてきました。

まだむかしむかしの舞台は残されておりますが、登場者は

ガラリと変わっておりました。

すべては 一期一会 なり

過ぎたことを考えない、

先のことを思い悩まない

無垢な気持ちで現実だけを見ていられたら

どんなに平常なことでしょうか・・・