「江戸の祭りは下谷から」

と昔から例えられた夏祭りのカワキリがいよいよ始まりました。

下谷神社も今年は本社神輿が町内を練り歩く

二年に一度の本祭りで、

ずらりと並んだ露店に沢山の老若男女が集まってきますよ。

下谷といえば、もうあの世に逝っちまった

あたしのオヤジとオフクロが若い頃所帯をもった町ですから

まんざら縁のない町じゃありませんでね。

特に深川生まれのオフクロは八十過ぎても神輿の後ろを付いて

歩くほどの祭り好きでしたでしょ、

アタシもどうやらオフクロの血を引いたようで

御囃子が聞こえてくるともうじっとしてられないのですよ。

もう神輿を担ぐ元気はありませんが、御囃子の流れる中に身を置くと

なんだか十歳は若返った気がするのですよ。

時代はどんなに変わろうと、人が何十代に渡って

伝え続けてきたものの中には、これだけはどんなことがあろうと

譲れないことがあるのでして、

『祭り』とはそういうものなのです。

父は祖父の姿の中に それ を知った、

 それ とは、当たり前だと思っていた中に何気なく隠れているのです。

母は何をすべきかを、祖母の姿の中に教えられていたのです。

『祭り』とは神輿を担いで騒ぐだけではない、

人間が生きるために何をするのかを知らぬ間に

身につけさせてくれるのです。

目に見えないものなのに、言葉で表せないものなのに

みんな、しっかりと受け取っているのです。

父は子に、母は娘に、自分の姿を通して伝えているのですね。

下町の男たちは、祭り囃子が鳴り響くと、

身体が自然に反応してしまうのです、

若頭の拍子木の合図で一本締めが決まると

「そりゃ!」の掛け声で神輿が上がった。

さあ、もう止まらないよ、

身体の中から湧き上がってくる熱気を

誰が止められるというのか・・・

『祭り』には夫々の決められた役分というものがある、

お囃子の笛を吹く若者の真剣な眼差しに

きちんと伝えるべきものが伝わっていく実感をみる。

爺様も婆様も、親父もお袋も、青年も子供等も

みんなきちんと役が決められている、

もしかしたら、『祭り』は壮大な野外劇だったのですよ。

ビルの谷間に響き渡る歓声が何時までも聞こえていた夏祭りの宵のこと。

とうとう降り出した雨に水を差された今年の大祭で

ございました。