『まつり』とは と問うても、そこには永い人間のいとなみが

からみあい、これが『まつり』ですという答えは中々見つからないのです。

「祀り」、「祭り」、「奉り」、「政り」、

『まつり』とは超自然的存在への様式化された行為とでも表現すれば

いいのでしょうか、

人間が生きていくうえで、避けられないことがあります、それは天災であり、

病気であり、寿命であり、生きることそのものなのですね。

人間が生き続けるために 「五穀豊穣」、「大漁追福」、「商売繁盛」、

「疫病退散」、「無病息災」、「家内安全」、「安寧長寿」、「夫婦円満」、

「子孫繁栄」、「祖先崇拝」、「豊楽万民」、「天下泰平」とあらゆる願いが

噴出すのですね。

人間の力ではどうすることも出来ないことに対して、人間は祈ることしか

出来ないのです。

祈願、感謝、謝罪、崇敬、帰依、服従の意思を伝えることこそ『まつり』の

本意ではないでしょうか。

何のために『まつり』を行うのかは、その町の意思、

それこそ千差万別、多種多様なんです、

それだからこそ、『まつり』を訪ねることは、人を訪ねることなんです。

12日に続いて 武州久喜の祇園祭でございます。

『まつり』には神事としての厳粛な静の部分と、賑やかな動の部分が

あり、どちらを優先しているかによって、『まつり』の持つ意味が

異なってまいります。どちらが正しいかではなく、その町の人々が

何を求めているかによる差であり、その差があるからこそ、次から

次へと見知らぬ町の『まつり』を訪ねてしまうのでしょうね。

天明三年(1783)、浅間山大噴火によって関東各地は甚大な被害を

受けました、農作物は全滅し、飢餓が大発生したことは歴史の事実

なのです。その被害の中から立ち上がり生活苦、社会不安を取り除き

未来へ希望の意思を込めて始まったのが久喜のまつりだと教えられました。

毎年災害を受けてしまう私たちであれば、その当時の先人たちが祭りに

込めた想いが痛いほど判りますよ。

祭りを行う日というのは、大きな意味を持っているのですが、永い歴史と

社会情勢の変化の中で、人間の都合で変えざるをえない状況になってしまい、

土、日に合わせてしまう『まつり』が増えてしまった中で、久喜の町は

今も曜日と関係なく、7月12日と7月18日に盛大な『まつり』を行うという

そのことだけでも、町の意思がくっきりと現れるものですね。

久喜町の総鎮守八雲神社の祇園祭は三つの顔をもっていることが

これからわかるのです。

八雲神社の祭神は牛頭天王、町の人々からは親しみを込めて『天王様』と

呼ばれていたことから、「まつり」そのものを『天王様』と呼ぶんだと

粋な鉢巻を結んだおやじさんが教えてくれましてね。

特に初めて訪ねる『まつり』では判らないことばかり、礼を尽くして

お尋ねするのも『まつり』を楽しむための大切な方法なんですよ。

どうやら人形山車の巡行が始るようです、

先頭には牛頭天王様の御霊を乗せた鳳輩が各町内の山車を先導

していくようです。

鳳輩の巡行に続いて山車がゆっくりと動き出します。

一本柱高欄の上に各町内の掲げる神像が乗る屋台型山車の上では

江戸囃子の流れを汲むという祭り囃子が小気味よい音を響かせて

います。

12日には遅く訪ねたために見ることができなかった人形山車です。

 本壱町内が素戔嗚尊、本二が武内宿禰、本三が神功皇后、

 新一が日本武尊、新二が神武天皇、仲町が織田信長

それぞれの山車は素晴らしい彫刻の鬼板がひときは目を引きます。

日除けの幕はまるで歌舞伎の舞台を見ているようで次から次とやってくる

山車の巡行に飽きることがありませんですよ。

それにしても、人形の中に織田信長があったことに思わずニヤリとして

しまいました。信長さん、神様になっていることを知ったら

何と言ったでしょうかね。

山車巡行が終了し、各町内に山車が戻ってきます。

私がお邪魔したのは 『新二』の町会、

何が始まるのかと見つめていると、世話役の指示で人々が動き出します、

「みんな手袋はめてくれ、合図があったら確認の返事を忘れないで」

そして山車の上から神武天皇様が下ろされると、幕が外され、鬼板が

外されていく。

「手渡す時に必ず返事をしろ!」

「彫り物は細いところを持つな!」

的確な指示が飛ぶ毎に、「よし」と返事が返ってくる。

全ては人の手によってひとつひとつ確認の作業が流れるように

決まっていくのです。

「ご苦労さんでした」

と世話役の声が響くと、昼の部は終了、

すっかり骨組みだけになった山車は別の山車置き場へと運ばれていく。

ここから先は12日に詳しく見させていただきました。

夜の部までかなり時間があるというので、その間に腹ごしらえ、

水分補給をして、再び町中へ戻ると、暮れた夜空に無数の提燈が揺れている。

昼間見ていた山車の姿はどこにもなく、周囲に取り付けられた灯りが

まるで鎮魂の祈りのように感じてしまいます。

聞けば、あの提燈の灯りはひとつひとつ点した蝋燭の炎なのですね、

一台の山車に取り付けられた提燈の数は約500、全ての山車に付けられた

炎はすべて人の手によるのです。

スウィッチを捻れば直ちに電気が流れ明るくなる現代、

電気などなかった昔は、ひとつひとう手間をかけることが

当たり前だったのです。そこに、人の助け合う姿があったのですね。

便利になった現代、何でもできると思っていた私達に大地震は

助け合うことの大切さを嫌と言うほど突きつけてきました、

先人たちはきっと言うでしょう、

「手間をかけることを惜しんじゃいけないよ」 と。

薄暗い無数の明かりが夜空に浮かぶ、

思わず鎮魂の祈りを捧げた祭り旅の宵のこと。