「光明といふは人々なり」

とあの道元は言い切っています。

すなわち『人々尽有光明』、

人々ひとりひとりが光明を持っているというのです。

縁のあった人が苦しんでいる姿を

人々はじっと見つめているだけということが出来ないのです、

きっと、飛んでいって、「大丈夫だ!」と励ますでしょう。

その縁ある人と自分の命は同じなのだと考える力こそ

人の持っている光明なのだと、道元は言い切っているのです。

縁ある人が苦しんでいると、自分も胸が苦しくなる、

その縁ある人が明るくなれば、自分も心が楽になる、

本来、人間は人の心に寄り添って生きることができるのです、

繰り返し繰り返し流される大惨事の映像、

ああ、私にも何かできるかもしれない、と考えることは

人間の本来持っている光明なのでしょう。

しかし、むやみに飛んでいくことだけが、正しい行動では

ないことも確りと見極めないと、その行為は無謀というだけで

光明を発揮することにはならないのです、

そこで問われるのが『智恵』、その智恵を間違えると

折角灯った光明はすーっと消えてしまうでしょう。

あの惨状から遠く離れた東京の郊外、何処をむいても

穏やか春の気配に溢れている。

今、私達に出来ることは、身体にも心にも活力を蓄えて

おくことなのです。

大惨事の復興は気の遠くなるほどのエネルギーと飽かずに

続ける根気が必ず必要になるのです、

そのエネルギーこそが、助けに行きたい人々に光明を

もたらすでしょう。

これからは長い長いトンネルに入ってしまうでしょう、

周りは真っ暗な闇の中で、手探りで這いずりながらも

遠くにある灯りを目指して行かなければならないのです。

そして、いざ行動に移すことになった時、

見返りを求めずに人に尽くすことで、

知らず知らずに己の心も寛大で自由になっているはずです、

「どうぞお先に」

たったこれだけの譲る心がやがて暗闇の向こうに灯りを見つけられる

エネルギーになるでしょう、

自然は、もう新たな命を芽生えさせています、

自らの光明を輝かせながら・・・

2016年3月記す