旅の途中

憧れた街

昭和39年の東京オリンピックからもう50数年が

過ぎ去ってしまいましたね、

ちょうどあの頃がアタシ等の青春時代、

大学キャンパスには自由が溢れ、

アメリカが若者の夢として大きく膨らんでいた時代でした。

東京はそこら中で工事、工事、工事、

もう全てがオリンピックのためという大号令のもとに、

古いものは簡単に壊され、高速道路はビルの上を走り、

埃と騒音に溢れかえった街に変わっていく中で、

東京にそっぽを向き始めたアタシ等若者は、

横浜へ、湘南へと手に入れたばかりの車で流れて行ったのです。

当時、学生の間に流行始めたロック、勿論、

プレスリーの時代ですがね、

そして週末ごとに開かれたダンス・パーティーは、

湘南逗子のなぎさホテル、葉山三井クラブ等で開かれ、

駐車場にはオープン2シーターが続々と集まってくるという、

今、考えれば、親のスネカジリがよくも集まったという

ことではありましたがね。

勿論、踊りはジルバ、やがて、ヨコハマ風ジルバ、

すなわちハマジルが一斉を風靡するのに

そんなに時間は掛かりませんでしたがね。

そんな若者の一番の関心事は今も昔も

ファッションに決まっておりましてね、

特に女性達の関心は、東京スタイルではなく

横浜がその最先端ファッションでしてね。

大学キャンパスの二年先輩に絶世の美女が

おりましてね、

それはもう女神様のような存在で、

彼女が身につけるファッションはあっという間に

取り巻きの女性達に波及する程、センスに溢れて

おりましてね、

その女神様が選び出したのは何時も横浜元町の

「FUKUZO」のタグの着いており、バックには「K」のマーク、

まだ「ヨコハマトラディショナル」なんて騒がれる

ずーっと前のことですがね、

それからは、横浜元町は必ず歩かねばならない

若者の目指す街になって行くのに

そんなに時間は必要ではありませんでしたよ。

ぎらぎらしたものを排除したクールさが、

バリバリのロッカーとは一線を引いていた

オトナシイ遊び人(そんな若者もいたんですよ)達が

少なからずいたということを

思い出していたのは、相変わらずクールできらびやかを廃した

元町を久しぶりに歩いたからでしょうかね。

「FUKUZO」、「キタムラ」は勿論、信濃屋、

喜久家洋菓子舗、近澤レース店・・・

懐かしい店が今も健在なのは嬉しいですね。

冷たい雨のそぼ降る中を、のんびり仲通りへ廻ってみると、

「霧笛楼」からはアコーディオンの調べが微かに聞こえてくる。

あの当時、遊びふけていた仲間も、やがて仕事に就くと、

世界中を飛び回る商社マンに、

医者になったヤツは何時の間にか院長に、

家業を継いだもの、それぞれの人生を走りきり、

今は孫の顔を見るのが一番の楽しみになった

爺さん、婆さんになっても、相変わらず拘った

ファッションに身を包んでいるのだろうか・・・

横浜元町はいくつになってもあの頃を思い起こさせてくれる

麗しき街として輝き続けて欲しいですね、

クリスマスを目の前にした 横浜元町通りにて

Categories: 日々

清しこの夜・・・ » « 年の瀬

2 Comments

  1. 中野は横浜の人間です。 でも、元町はここ数年行ってません。旅の途中を見させていただきましたが、なんだか、怖くて行きたくなくなりました。 青春だねぇ…

    • sanjin

      2018年12月28日 — 1:01 PM

      社長さん
      青春の記憶が散りばめられた街は時間が経るほど輝いてくるようですよ、そのまま浦島太郎状態にしておくほうが良かったようでした。
      あと数日で今年も終わり、来年はいよいよ好奇(後期)高齢者ですぞ、空元気でもいいからニコニコしながら無事に過ごしたいものですね。

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