毎年春になると桜を追いかける旅にでます、

もう人生の半分以上を続けているのです、

桜を訪ねる旅のの中で、桜に出会うのは当たり前なのですが、

その桜の下で出会った人のことが忘れられないことが間々あるのです、

桜に目が眩み、そのほかのことに想いが届かなくなっていた桜旅を

終えると、桜とその下で出会った人との記憶は鮮明に

残っているのに、その桜に出会うために通り過ぎた町のことは

全く記憶から抜けているのです、

まだ桜には間のある寒中の一日、今年の桜を想いながら地図を

眺めていてある町が目に止まったのです。

『韮崎』

かつては甲州街道の宿場であったその町は、もう何度も通過して

いるのに立ち寄ったことがなかったのですよ、

甲州街道第33宿目、日本橋から152.4km

思い立って二時間後にはその町の駅前に佇んでいるというのは

なんと言う速さでしょうか、

もし、江戸時代の人に出会ったら、

「何馬鹿なこと抜かすか、一刻(約2時間)で江戸からやってきたと」

と多分、気が狂っていると相手にされないでしょうね。

暴れ川釜無川の向こうに鳳凰三山を眺め、

とりあえJR中央本線韮崎駅前へ

何の変哲も無い駅前で真っ先に目を引いたのは

夕暮れの空にクッキリと姿を現している 富士の山、

「こんな素晴らしい景色が隠れていたんですか」

韮崎は佐久往還、駿信往還との分岐点の宿、

昔から水運で開けた町でもあったのです、

しかし、時代の流れは他の水運で栄えた町と同じように、

この町からもかつての賑わいを奪っていく。

本町通りを歩いて見るが、もう昔の面影はなく、どこにでもある

新しい町並みに変わっておりますね。

さらに、北上すると、古社の趣溢れた『柳原神社』が目にとまる、

急いでいる旅なら間違いなく素通りしていたでしょうね、

由緒を読むと

古社地は半町ほど東の方柳樹の繁茂する場所に鎮座されておったが、
塩川氾濫により社殿等流失せしにより、江戸文化年間、現在地に
遷座されたとある。
 御祭神:天照大神、罔象女命、大物主神

「罔象女命(みつはのめのみこと)」は、『日本書紀』に出てくる神様で、
『古事記』では「弥都波能売神(みつはのめのかみ)」と表記される。
『日本書紀』の神生みにおいて伊弉册尊から生まれる水神である。

多分、たびたび起こる川の氾濫を防いでいただく願いが強かったのでしょうね。

まだ雪の残る境内で、ほのぼのする狛犬に出会いましてね、

あの江戸は向島の三囲神社の垂れ目のお狐さんと肩をならべそうな

愉快な狛犬さんで、なんだか、悪霊を祓う効果は疑問が残りましたが

参拝者に思わず笑顔にさせてしまう効果はテキメンでしょうね。

昔は祭りになると、この参道から村里内まで、提灯を飾り

近郷の善男善女が引きも切らさず参拝に訪れたという。

また力自慢の男たちは境内にしつらえた土俵で天狗角力に興じたという、

その立派な土俵が今も残されておりますよ。

震え上がるような寒風に目を上げると、

まるで神の住むだろう鳳凰三山が

姿を現しておりました。

旅はやっぱり寄り道が面白いですね。

山梨 韮崎 『柳原神社』にて