現在当たり前に使っている一年365日のカレンダーは

1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を

改良して制定したグレゴリオ暦なのですね。

キリスト教圏で使われていた暦を日本が使用することに

なったのは、明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告で

「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」

としてそれまでの「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」との

布告でそれまでの天保暦は旧暦となったのです。

その改暦の真意とは、

旧暦のままでは明治6年は閏月があるため13か月となるのです、

当時の明治政府は財政状況が逼迫しており、月給制に移行した

ばかりの官吏への報酬を一か月分余分に払わなければならないわけで、

ならば旧暦を新暦に改暦してしまえば閏月がなくなり支払いが

一ヶ月分削除おできると踏んだようで、突然、改暦の布告がなされた

のですよ。

大隈重信の回顧録にそう記してあるので実態は横暴といわれても

仕方ない方法だったのですが、まだ国会も無かった時代ですから

為政者の都合で何でも出来た時代だったんですね。

さてその旧暦ですが、アジアの国々では中国、韓国、ベトナムなど

旧暦を使っていた国が多かったのです、日本はお上の言うことには

楯突かないという習性が身についていたため、新暦で正月も行うことに

どうやら抵抗がなかったようですね、

今では新暦の一月一日が元旦で、

正月を行うことに何の抵抗もありませんが、

おとなりの国では、正月は新暦でやることはやるが、

昔からの旧暦の元旦を 「春節」として大いに盛り上がるわけで、

ひとつことに決めたらそちらへ一気に対応してしまう日本と言う国と、

新暦も旧暦もどちらも祝えばいいというおおらかというか、あまり物事を

気にしないお隣の国の人との考え方の違いを感じることができるのです。

さて今年の旧暦の元旦は、新暦の二月八日、日本では平日の

なんでもない日ですが、中国人にとっては春節、日本の中の中国

横浜中華街を訪ねると、その国民性の違いがよく判るんですね、

日本人なら、初詣に整列を作って順番に御参りする風習が当たり前

ですが、春節の祝い方はまったく日本人とは異なるのです。

どちらがいいとか悪いとか比較する問題ではなく、それぞれの国の

生き方の違いですから、「なるほど」と見つめることが大事なのですね。

顔だけ見ていてもどちらが日本人で、どちらが中国人かは区別は

つきません。それほど姿形は同じでも、やはり行動は全く異なる

のです。

春節はお祭ですから、神輿があり、獅子舞が町を巡り、

お囃子は、太鼓と銅鑼と笛、そして一番の違いは

彼方此方で鳴らされる 爆竹の音、

もうそのけたたましさは日本のお祭の比ではありませんよ。

もうもうと立ち上る爆竹の煙の中を獅子舞が踊る、

獅子が各店舗の商売繁盛や五穀豊穣を祈願し、店頭に吊るされた

ご祝儀の紅包(ほんぱお)をくわえとるたびに歓声があがる、

その獅子の後ろを大人も子供もぞろぞろとついて回るのです、

みんな笑顔になっているんですね。

今日から二週間、祭一色に塗り込められてみんなで大騒ぎできるのは

一種のゆとりかもしれませんですよ、楽しい時は楽しく過ごす という

当たり前のことを当たり前にやれるということは、もしかしたら

日本人にはない特徴かもしれませんですよ。

特に春節祭は中国では四千年前から行われていたんだとか、

その伝統を、若者達がきちんと受け継いで、獅子舞も龍舞いも、

舞踊も、銅鑼や太鼓もみんな行う姿を見ていると、

祭の本来の姿を見ているような気がしてまいりました。

祭には、国境も民族の違いもないのですよ、

祭とは本来人間の持っている楽天的な気質が一番発揮できる

場ではないかと思えてなりませんでした。

勿論、日本には日本の祭が沢山あります、

そんな沢山の祭を通して、日本を見直していける旅を今年も続ける

意思を固めた旅の途中でございます。

(平成16年2月横浜中華街にて)