旅の途中

東 京

初めて東京銀座という街に足を踏み込んでもう半世紀が過ぎて

しまいました。

先人たちが大切に残し続けてきた街は、東京オリンピックに浮かれて、

近代化の名のもとに、滅茶苦茶に壊してしまったのです。

川は埋め立てられ高速道路と化し、川が無くなれば橋もいらないとばかり

数寄屋橋は姿を消し、あの森永の地球儀もいつの間にか無くなりましたよ。

それでも若かったアタシ等は新しいことこそ素晴らしいとばかりに、

大学の講義もそっちのけで、銀座に入りびたりの学生生活を送っていたんです。

消えてしまったモノより、今目の前に聳えるガラス張りのビルの方が

素晴らしいものの代表のように思えたのは、若さによる浅はかさだったのかも

しれませんよ。

VANのボタンダウンシャツに細身のスラックス、なんだか外国人にでも

なった気になって用もないのに銀座の路を行ったり来たり、

本当に大切なモノとは何かなんて考えもしなかったんです。

その日その日が楽しいければそれでいい、それが若さの特権だと・・・

あれから半世紀が過ぎました、

今、この街は再び再開発の波が押し寄せています、

マツダビルは姿を消し、あの老舗デパートは88年目の終止符打ち、

その跡地には、またガラス張りの壮大なビルが建つのだそうです。

人々は、消えていくものには最後の瞬間だけ気持ちを入れ込んで

みても、あっという間に忘れ去るのです、

新しいビルが出来上がれば、あんなにノスルジーに耽っていた人々も

もうそんなことはどうでもよく、新しいモノへ群がり始めるでしょう。

そうやって、此の街は、変わり続けるのです。

どんなに涙しても、どんなに感慨に耽ってみても、一度この世から

消えたモノはもう二度と現れることはないのです。

たとえ記憶の中に残っていたとしてもね・・・

今日もまた、新しい店がオープンした、

その陰で一つの過去が消えていく。

この街ならどんな路地の奥だって、歩けるほどに判っていても、

少し目を離していると、いつのまにかあの店が、あの時の味が

消えている。

バブルが弾けてもう20年になるのですね、

あんな馬鹿げた時代はもう二度と来ないですよ、いや来てはいけないのです、

お金に狂って、身を崩し、代々続いていた店をつぶしたあいつはもうこの世に

はおりません、馬鹿げた時代でした。

それが、ここにきて、もしかしたらあのバブルがまた来ると夢見ている輩が

動き始めているのですよ。地に足を着けることを忘れてしまった人間ほど

始末のわるいものはないと、20年前にあれほど身に染みて判ったはずなのにね。

細い細い路地の奥に、ここが銀座なのと驚くような一角が

現れ始めたのは、そんな時代へのアンチテーゼなのでしょうか、

下町育ちの人間には当たり前の生き方に見えても、銀座では異質に見えるのは

すでに銀座にどっぷり浸ってしまった過去の人間の悲しい記憶が

そう思わせるのでしょうかね。

二度目のオリンピックが決まった東京、

 大人の街、センスのいい街、の看板をカナグリ捨てて、

金さえ儲かれば何だっていいというあの不毛の時代の始まりなのでしょうか、

街の隙間から噴き出し始めた風によろけながら歩く散歩の途中でございます。

Categories: 日々

鳥越神社祭礼 宵宮 » « 忍音もらす 夏は来ぬ

2 Comments

  1. 田村さん
    昔の銀座、思い出すねえ~

    • sanjin

      2018年6月14日 — 12:24 PM

      社長さん
      懐かしさは記憶の彼方へと 遠くなっていくね。
      もう少し希望を捨てずに生きていかなければと
      願っておりますよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Copyright © 2002 - 2018 旅の途中

Theme by Anders NorenUp ↑