遊戯(ゆうぎ)と聞くとなにやら幼稚園生が可愛い仕草で

踊っている姿を思い浮かべてしまいますよね、

それはそれで、見ているだけで思わず顔がほころんでしまう

ほど、いい光景です。

子供は神の子なんだと理屈抜きに感じてしまうでしょ、

そこにはしたり顔で話す言葉もなく、

こうしたら受けるだろうなんていう下心もありません。

遊戯とは本来遊びという意味ではなく、

仕事も、人との付き合いも、恋愛も、そして日々の行動の

全てをひっくるめて 遊戯 と表現したのだそうですよ。

そのどの場面でも徹してやることを 遊戯三昧と言うのだそうで、

徹して何かをやることは 楽しいことだという意味で 遊戯 と

表現したのかもしれませんね。

この日本という国では、古来より日常(ケ)と祭り(ハレ)

の中で生きていたので、

仕事をすると疲れるという概念は無かったのではないかと

想われるのです、祭りになると日常より何倍も身体を酷使し、

忙しい思いをするのに、誰も疲れたなんて言いませんでしょ、

余暇とか休暇などという考え方は、明治になって西洋の考え方

が入ってきてからのもので、それ以来、仕事をすると疲れる

という概念が生まれたのではないですかね。

仕事も楽しみながら出来れば、疲れたなんて

思わなくなりますよ、祭りと同じでね、

いやいややれば、仕事でも、掃除でも、あの麗しい恋愛でさえ

苦痛に代わるのが人間の思考なのかもしれませんですよ。

人間の生き方に、

「これだ!」

なんていうモノは実は無いのでして、

一生懸命努力したから最良の結果が手に入る保証もないし、

だからといって、失望することも余計なことなんですよ、

『日日是好日』という考え方が禅の言葉に

ありますよね。

与えられたその一日が、

晴れた日は勿論のこと、雨の日もいい日だ、

嵐の日だっていい日だ、と思えるためには、

その与えられた一日を悔いなく生きる以外に

ないのですよ、

これを遣ったら、何か益になるのだろうかとか、

損をしないか、なんて考えながら遣ったって

充実したという気持ちにはならないじゃ

ないですかね。

アタシもこんなに好き勝手に生きてきて気がつけば

高齢者の一員に組み込まれてしまいましたが、

自分じゃ高齢者なんていうつもりはありませんでね、

楽しいことがこんなに沢山あるのに、

ふさぎ込んだり、悔やんだりしてる暇はありませんでしょ、

まだ、仕事は現役ですが、楽しいと思えるから続いているので、

その合間をぬって祭りの中に身を置いてみると、疲れたなんていう

気持ちはこれっぱかりも起きませんですよ、

きっと、アタシは昔の日本人の生き方をそのまま

踏襲しているだけかもしれませんがね。

悔やんで一日過ごしても、一日はみんな同じ時間、

その積み重なりが黙っていても、あの世に運んで

くれるでしょう。

だったら、遊戯三昧で明け暮れてみようではないですか。

そのコツは、

「無理して答えを求めない」

ということですかね、

どうせ行き着くところはみんな同じなんですからね。