HP「旅の途中」を立ち上げたのは確か2002年の6月

だったと思う、断定できないのはその初日から毎日記録し

続けていたHPの四千余の記事が一瞬にして消えてしまった

からなのであります。

無くしてしまった記録は今更悔やんでも仕方ないけれど

ひとつひとつの旅の思い出は、記憶をたどる以外にない

となると、歳とともに薄れていく記憶を必死に探り出す

ことになるのです。

そのHPで第一番目にどこを訪ねたかは、はっきり記憶に残って

います。桜を追いかける旅が一段落してふらりと寄った

湯島天満宮でしたね、その最初に記録した場所というのは

その後の旅に微妙に影響させていたと思い当たるのは

全ての記録を失って初めて気づかされたのかもしれません。

旅の記録は大筋で二つありました、一つは桜を追い求める旅、

それは桜から紫陽花へ、さらに各地の樹齢の長い大きな樹にまで

広がっでいきました。

そして湯島天満宮との縁はやがて興味が祭りに向かうのです、

山車、神輿からやがて神楽舞いへ、その奥の深さにのめり込む

ばかりでした。各地の祭りを訪ねる度に、その祭神を調べ出すと

やがて古事記・日本書紀まで行き着いてしまうのです。

そして一番印象の強かった祭神はいつしか菅原道真公だったんです、

今思えば最初に立ち寄った湯島天満宮での道真公の縁が現れてはまた消え、

しばらく祭りを追い求めていくと、再び道真公が現れるという

繰り返しだった気がいたします。

湯島天満宮、五條天神社、亀戸天神社、谷保天満宮、荏柄天神社(鎌倉)、

北野天満宮(京都)、大阪天満宮、唐津天満宮、宮崎天満宮・・・

そして昨年の秋、大宰府天満宮を訪ねた折、もう一度道真公を

調べたいと思い立ったのです。

特に関東にはなぜ道真公を祀る天満宮が多いいのだろうか、

すでに、何ケ所かはここ五年ほど前から訪ね歩いておりましたが、

記憶だけですのでもう一度その場所を再訪しながら道真公に

逢いに行ってみる旅は再び旅への興味をもたらせるかもしれない・・・と。

毎年、二月十一日は東京板橋の徳丸北野神社で「田遊び」が

行われておりましてね、二年続けて訪ねていたのですが、

想い出してみれば、そこは東京では一番古い道真公の伝承を

持つ神社でもあったのです。

長徳元年(995年)正月11日、正一位太政大臣 菅原朝臣道真公を

祀ったことに始まる徳丸北野神社から改めて道真公への旅を

初めてみようと思い立った今年の旅の途中でございます。