先輩のKさんとお別れして10回目の春です。

不思議な人でした、還暦前に自分の事業を人手に渡すと

自分の娘ほど歳の差のある人と再婚し、

「二度目の人生は自由に生きるよ」

と全く以前と異なる人生を始めてしまった。

かつては水泳でオリンピックに出ようかという身体能力は

命の永遠を信じさせていたのかもしれない。

そんなKさんにある日突然の医師の宣告

「ご主人は不治の病です、良くて六ヶ月・・・」

若い夫人から本人に言うべきか黙っているべきか相談を受けた、

「六ヶ月ですか・・・やっぱり知らせるべきですよ、

 自分の人生を自分の責任で最後まで真っ当できなかったら

  きっと悔いが残ります」

思い切って知らせた時、

Kさんは顔色ひとつ変えずに微笑みさえ浮かべて

「そうでしたか」

多分、本人も薄々は気づいていたのかもしれません、

そして

「あの、ひとつだけお願いがあるのですが・・・

  スケッチブックと水彩絵の具が欲しい」

それからは見舞いに伺うと、沢山のスケッチが増えていきました。

「これはどこですか」

「ふるさとの阿蘇です」

そしてもう一枚には大きな櫻が描かれていた。

「私の小学校は阿蘇の山が教室の窓から見えるんです、そこから

歩いてすぐのところにこの櫻があるんです、それは大きな櫻です、

でも、もう見ることが出来なくなりました、散人さんは毎年櫻を

見に行くのでしたね、いつか、阿蘇に行ったら私の代わりに見て

きてくれませんか・・・」

私は何度も頷いて

「必ず見に行きます」と約束をした。

半年という寿命を倍に伸ばし、九十九枚のスケッチを残して

眠るように旅立っていったKさんの生き方は

人はどう生きるかを無言のうちに教えてくれて

いたのかもしれない、

随分時間は過ぎてしまったが、約束を果たせそうな

気がして旅に立った、

風の丘から雄大な阿蘇の山並みが広がる

山桜が満開の花を散らし始めている。

「これから行ってみますから」

と阿蘇の山に向かって呟いていた。

「それは一心行の櫻でしょう、

 でももう 花は散ってしまいましたよ」

熊本弁のその人は丁寧にその道筋を教えてくださった。

それははるか手前からすぐにわかりました、

あの阿蘇の山並みを背景にまるで櫻霊が宿っていそうな

大きな櫻でした。

「Kさん、アナタが描いたスケッチと同じですよ」

花は散ってしまっていたがその見事な櫻の下で

たったひとりの櫻見舞いです、

いや、Kさんも一緒に見ているような気がしていました。

「Kさん、これが70年前にアナタが毎日見ていた櫻なんですね」

400年の樹齢の櫻

人の命をどれほど見つめてきたのでしょうか、

櫻には見つめる人の数だけ物語があるのですね。

今、その阿蘇の地が揺れています、

あの約束を果たしてから5年の歳月が過ぎています。

Kさん、生きるということは試練の連続なんですね、

アナタが身をもって教えてくださった命の尊さをまた

教えられています。

どうかそちらからも生きる力を送ってください、

昨年の秋、訪ねたばかりの阿蘇の空に祈っています・・・

(宇土郡三角)

追伸

 この櫻は天正八年(1580年)島津氏との戦で矢崎城(宇土郡三角町)

 で戦火に散った峯伯耆守惟冬の菩提樹とされている。

 室(妻)と嫡男は少数の家臣と故郷であるこの地に戻り、惟冬と

 一族の御霊を弔うため一心に行をおさめたという。

 いつしか人々はこの櫻を『一心行の櫻』と呼び始めています。