真夏の祭り行脚は難行苦行の繰り返し、

別段誰に頼まれたわけでもなく、ただひたすら祭りを求めて

今日も旅のおじさんは、水分補給を忘れずに、麦わら帽子で

薄くなった頭皮を強烈な太陽光から守り、とぼとぼと辿り着いた

のは水郷は潮来、江戸の昔から水運で栄えた町で、江戸からの

行楽客が集まるほどの賑わった地でもあったのです。

人の集まる土地には三業地が栄えるのは何も潮来に限ったことでは

ありませんでね、水郷と呼ばれる地域には祭り文化も連綿と伝え

続けられているのです。

あの独特の佐原囃子が小見川、鹿島、そして潮来にも伝わっており、

山車の上から聞こえてくる祭り囃子に耳を傾けるのもまた

楽しみのひとつなんですよ。

上州桐生からとんぼ返りで何とか潮来祇園祭禮に間に合った祭りの初日、

以前お訪ねしたのは祭り最終日、あれから六年が過ぎていたのですな、

六年前と変わらないのは相変わらずの真夏の暑さですよ、

へとへとになって三丁目の休み処へ、

(お仮宮)

「何処から来なすったね」

「浅草からやってまいりました」

「あれ、祭りの本場でないですか、まあ、どうぞ」

と切ったばかりのスイカを勧められる、

見ず知らずの者が頂いては申し訳ないと辞退すると、

「せっかくいらした客人をもてなすのがアタシ等の役目ですから」

と云われて、それではとかぶりついたスイカの旨いこと、

ひといきついて潮来祇園祭禮についてお話を伺う、

お話し下さったのは、三年間猿田彦を勤め上げたというNさん、

「天王山に鎮座されておられる神様はそこの浦逆浦の漁師の網に

かかったという言い伝えがあるんですよ」

「それって、浅草の三社様と似てますね」

なんだか急に親近感が湧いてまいりましたよ。

「今日は天皇様と権現様がお山から町場へ降りてこられる日でね、

 もうお仮宮におられるのでどうぞ見てきてください」

と案内をいただき、お仮宮へ伺うと、すでに各町内の

山車が揃って参拝中でありますよ。

私が20年以上毎年通い続けている佐原の大祭では、その年の

年番町にお仮屋を作る仕来りがあるのですが、どうやら此処潮来では

お仮宮は固定された場所に決められているようです。

丁度、七軒町の山車の参拝に遭遇、「祇園神會」の大幟がはためくお仮宮

にはすでに天王さま(素戔男尊)と権現さま(熊野大神)の二基の神輿が

鎮座されており、

山車を中心に町内氏子の面々が御祓いを受け、お神酒をいただき

無事を祈るのです、

このお仮宮への道路がなかなか狭くて、山車を通すのは山車係りの腕の

見せ所になっているのですな。

(四丁目の天の岩戸)

「もう少し右ダ!」

「あたまを気をつけろ!」

と次から次と注意が飛ぶ。

七間町の山車の上には源義経が鎮座されているのですな、

そういえば、潮来の山車には静御前もおりましたよ、

義経と静御前がここ潮来で再会されるとは、なんだか

七夕の織姫と彦星を見るようで浪漫を感じますな。

皆さんにお礼を述べて、今宵最後の山車の乱曳きを

楽しもうと祭りはやしに耳を傾け、辿り着いたのは潮来駅前、

各町内の山車が、続々と集まって参ります。

すっかり暮れた夜空に

山車の提灯が揺れながら近づいてまいります。

山車の上では太鼓・鉦・笛による聞きなれた旋律が

終わることなく延々と続いている。

「佐原囃子ですね」 とお尋ねすると

「いいえ、潮来はやしです」ときっぱりと答えられた。

六年前は、天王山の三の鳥居を潜るといよいよ百段を超える

階段を神輿が上がっていくお山上がりを見せていただきました。

今年は、順序は逆になってしまいましたが、神輿が里へ降りてくる

「浜降り」の模様を見ることが出来ました、

それにしても八百年に渡り、伝え続けている潮来衆の誠とは何と素晴らしい

のでしょうか、とかく、お囃子や山車の曳山ばかりが脚光を浴びる祭りの

中で、此処まで神事を守り通している潮来祇園祭禮に心打たれました。

駅前の広場では、あの のの字廻しが若衆の心意気を

見せ付けるように何度も何度も廻っている、山車が通り過ぎた跡には

くっきりと のの字が刻まれておりました。

前川に掛かる橋の上では 神功皇后に見守られた町内氏子連が

歓声をあげながら舞い踊っておりますよ。

過ぎていく夏を惜しむように、潮来囃子が夜空に響き続けていた

祭り旅の途中です。

身体中の水分が汗になって蒸発しています、

水分補給をしなければ・・・