九州の伯母から便りが届いた、もう白寿をとおに過ぎている。

茶人でもある伯母からは

茶道の所作について、

焼き物について、

そして人生についてと、

随分多くのことを教えていただいていた。

病にかかり、もしかしたら と懸念していたが、

その病を乗り越えたと嬉しい便りでもあつた。

「もう東京へも、大好きな京都、

  鎌倉にもいかれなくなりました」

と美しい文字で書かれた手紙に、随分、ご無沙汰してしまったと

申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

まだ若かった義母と共に、久しぶりに上京してきた伯母を

鎌倉に案内したのはもう二むかしも前のことになりました。

いつもきりっとした着物姿で颯爽と歩く伯母が、珍しくどうしても

見てみたいお寺さんがある とリクエストしたのは、鎌倉にしては

地味な寺である寶戒寺でした。

「白萩の美しいお寺さんでしょ」

さすがに茶人だけあって、草花への想いが強かったのでしょうか、

折りしも彼岸を迎えた参道にはこぼれるように

白萩が咲いておりましてね、

「なんて美しいのでしょう、想っていたとおりですよ」

伯母はその白萩の道をまるで少女にかえってしまったように

微笑みながら歩いておりました。

あの時は、義母の兄弟姉妹は皆さん元気でしたね、

僅か20年の月日は、愛する人、大切な人を何時の間にか

消してしまうのですね。

伯母のその手紙には

「とうとうひとりになってしまいました」

と結ばれておりました。

九州など2時間も掛からない近い場所だと認識していても、

一度台風の中、ジャンボ機がまるで小型セスナ機のように

大揺れに揺れ、もうこれまでかと観念したフライトに

出会ってからは、空の旅は躊躇してしまうのです。

急に九州が遠くなってしまいました。

伯母の微笑みを思い出したのは

この白萩のせいかもしれません。

山門の前で微笑みの伯母と義母の姿を写すことはもう

出来なくなりましたが、やっぱりあの微笑に逢いたくなりました。

白い花は こころまで清めてくれるのかもしれませんね。

鎌倉の秋は 人を想う秋

伯母が103歳の人生を全うして三年目の秋です。