町中を流れる小野川が幻の町を本宿と新宿とに二分していた。

そして、この町では本宿と新宿それぞれが神と共に生きるための

祭りを行っているのです。

太陽が燦々と照りつける夏の三日間は、本宿の祇園祭、

あのゆったりとした佐原囃子が遠く近く小野川の川風に乗って

聞こえてくる。

あの旅人から聞いた不思議な話を夏彦は思い出しながら眩しそうに

空を見上げた

「この町の何処にあの不思議な路地があるのだろうか」

その女(ひと)はすれ違った瞬間、確かに微笑んでいた、

あわてて頭を下げると、もうその女ははるか先の路地の角に佇んで

こちらを振り向いていた。

「いったい今何が起きたのだ!」

夏彦は混乱する頭の中で、きっとあの旅人がすれ違ったという女(ひと)に

違いないと直感した。

すがるようにその跡を追いかけると、その女(ひと)は

路地の奥で姿が消えてしまった。

「此処は何処なんだ!」

遠くから 『くずし』が聞こえてくる、

「なんだ、やっぱり祭りをやっているじゃないか」

夏彦は、其処が現代だとばかり思っていた。

その時、裏木戸が開くと、若い女が足音もさせずに現れたのです。

「あの、あなたは・・・」

「はい、町の者でございます」

抜けるように白い肌はまるで夏の陽さえ通してしまうほど、

「よろしかったら町をご案内いたしましょうか」

「はい、何しろ初めての町で、不案内で困っておりました」

「ここは三十年前に出来たお店なのですわ」

「えっ、ここに宝暦九年創業とありますよ」

「わたくしが生まれる前からあるお店なのです」

「いったい今は何時の時代なのですか」

「寛政元年に変わったばかりです」

「えっ、江戸時代じゃないですか」

「あなたはどちらから・・・」

「あの、平成という時代から」

夏彦は何が何やら全くわからなくなってしまった。

「あなたもそのカメラとかいうものをお使いになるのですネ」

「なぜ、これがカメラだとお判りになるのですか」

「ふ、ふっ、今年の春のお彼岸に同じようにカメラとかいう

 小さなものを持った旅のお方がお見えになりましたもの」

「そ、その人とお会いになっていたのですね」

「はい、とても不思議な方でしてね、」

「やっぱり、本当にあったのですねこんな世界が・・・」

「あの、失礼ですが、あなたのお名前は・・・」

「はい、今は 妙春 と申します」

「それじゃ、あの沈丁花の香りの方・・・」

「喉が渇きませんこと?」

「はい、カラカラです」

「この町にもハイカラなお店ができましたのよ」

そこは、小野川沿いの蔵作りの店でした。

「マネージャー、二人よろしいかしら」

「これは妙春さま、ようこそ」

「飛び切り美味しいワインを」

夏彦はまたまた混乱してしてしまった。

「ここはどこなんですか?」

「アナタの生きている平成とかいう時代ですわ

 こちらのワインとても美味しゅうございますのよ」

ワインを空けるほどに酔いが廻っていることに気づかないほど

夏彦はのめり込んでいた。

「どうやらお酔いになられたようですわね、

 少し川風にあたりましょう」

小野川の辺はまるで海の底のような光に溢れていた。

「カメラを・・・、写真を撮りたい・・・」

「今日はお止めなさい、祭りの日ですから、

 この祭りをその小さな機械の中に閉じ込めてしまうと

 みんなが困ってしまいますから」

夏彦はカメラをしまうと、再び流れてくる佐原囃子に耳を傾けていた。

若い娘達が山車の周りで踊り続けている。

「いったい私は何処にいるんだろう」

どれほど時間が経っていたのでしょうか。

伊能忠敬宅の前で眠り込んでいたらしい、

もう祭りの喧騒も、妙春の姿も、何処にもない、

静寂だけが小野川の上をそよそよと流れていた。

「あの旅人の話は、今なら信じられるよ」

夏彦は立ち上がるとすっかり暮れてしまった空を見上げた。

「真夏の不思議な一夜か・・・」

(夢とうつつの狭間でさまよっていたのかもしれない・・・)