春まだ浅い三月、今年最初の秩父小鹿野歌舞伎が奉納されると聞き、

日本武神社例大祭(十六さま)を訪ねた折は、じっとしていると

寒さが足元が這い上がってくるほどの寒さでした、その際に見せて

いただいた子供たちによる歌舞伎にすっかり魅入られてしまい、

それからは足しげく小鹿野通いが始まりました、

そして春の小鹿野まつりでは『義経千本桜 伏見稲荷鳥居前之段』を

じっくりと見ることができましてね。

その時に、秩父夜祭でも歌舞伎が演じられると教えていただいたのです。

(『義経千本桜 伏見稲荷鳥居前之段』 源九郎判官義経)

(静御前)

何しろ秩父夜祭は何度も訪ねておりましたが、ものすごい人出でで

とてもじっくりと歌舞伎舞台をみることなどできない状態で半分諦めて

いたのです。

宵宮でも歌舞伎が演じられることを知り、今年はその宵宮に勇んで

駆けつけたというわけですよ。

夕刻から始まった屋台の曳き廻し、すれ違い、ギリ廻しとじっくりと

見ることができましたので、今宵始まる中町の屋台歌舞伎会場へやって

まいりますと、意外にも空いておりましてね、本場歌舞伎座なら

「と・ち・り」(前から7・8・9番目)の席を確保してわくわくしながら

その幕の上がるのを待ちわびるのでありますよ。

(武蔵坊弁慶)

秩父中町屋台を中心に広げられた舞台の豪華なことといったら、

目もくらむほどの美しさでありますな。

木が入るといよいよ秩父歌舞伎正和会による屋台芝居の幕が上がります。

秩父地方には江戸の昔から地芝居が盛んで、庶民が歌舞伎に親しんで

いたという伝統があるのです。

太平洋戦争で途絶えていた歌舞伎舞台を復活させたのが、

秩父歌舞伎正和会であるとお聞きし、固唾を呑んで舞台を

見つめるのであります。

出し物はもう何度も体験している

『義経千本桜 伏見稲荷鳥居前之段』

役者は

 源九郎判官義経    武蔵坊弁慶     

 佐藤四郎忠信     亀井六郎      

 駿河次郎       静御前       

 早見藤太       家来1・家来2・家来3   

(あらすじ)

義経は駿河と亀井の二人を連れて伏見稲荷までやってくる。

そこへ静御前がようやく追いつき、自分もともに連れて

行ってと義経に願う。

しかし駿河は 女は連れてゆかぬほうがよいと進言する。

弁慶も追い付いて現れる。

実は堀川御所で義経の嫌疑を晴らすため卿の君が

自害してしまう、そのとき、鎌倉からの討手として

海野太郎と土佐坊正尊が攻め寄せてくる、

海野たちと敵対してはまずいと義経が思うところ、

なんと弁慶が門外で海野太郎を討取ってしまったのである。

(土佐坊の家来 早見藤太)

その際の卿の君のことから扇でもって弁慶を散々に殴り、

手討ちにしてくれると怒る。

弁慶は、だからといって主君の命を狙う者をそのまま

捨ておけようかと涙をはらはらと流す。

静御前も弁慶を許すよう言葉を添えるので、

義経も一人でも味方がほしい時節なので今回ばかりは

許すというのだった。

しかし静御前については、義経との同道は許さず、それでも

静御前は泣きながら連れて行くよう訴える。

義経も心では静御前を哀れと思いつつも、次に会うまでの形見にせよ

と「初音の鼓」を静御前に与える。

それでも静御前は義経にすがりつくので、致し方なく駿河は鼓の調べ緒で

静御前と鼓を縛りつけ、義経一行は立ち去るのでした。

ひとり残され嘆き悲しむ静。そこに雑兵を率いて義経を捜しに来た

土佐坊の家来 早見藤太 の登場、ここから早見藤太の道化振り、

観客を沸かせるアドリブが飛び出すのですよ、

観客から盛大な拍手と歓声があがる。

(静御前を守る佐藤四郎忠信)

さて静御前を見つけた藤太は思いもよらぬ幸運と喜び、鼓を奪い

静御前を引っ立てようとする、

そこへ登場するのが出羽から戻ってきた佐藤四郎忠信、

一行と立ち回りになり逃げようとした藤太は不思議な力で引き寄せ

られ、鼓を取り返されてしまい鼓を取り返されてしまうのでした。

そこへ再び義経一行も戻ってきて、

忠信は義経と対面する。

義経は静御前を助けた功により、その褒美に「源九郎義経」の名と

自分の着背長(きせなが)を忠信に与える。

義経一行は静御前と忠信を残して立ち去り、忠信は義経の命により

静御前の身柄を預かることになる、

義経一行の後を追う静御前を押しとどめながらの忠信の所作が

不思議な雰囲気を醸し出す場面、

実はこの忠信は本物ではなく初音の鼓に張られた皮、

実は千年生き続けた狐夫婦の皮で、その親を慕って現れた子狐の化身なのです、

忠信が演じるしぐさが狐を思わせる「狐六法」という独特の動きかたで

幕が下りるのでありました。

忠信がなぜ狐の仕草で舞台を下がっていくかは何の説明もないので

不思議に思うかもしれませんが、歌舞伎というのは観る方も筋書きが

わかっていることが前提の元に演じられるのですから

小鹿野歌舞伎の素朴さとまた異なり、町場の洗練された役者さんの

台詞回しや豪華な衣装にはすっかり魅せられてしまいました。

秩父歌舞伎正和会さんの舞台が中町屋台で演じられるのは四年に一度

なのだとか、次回は果たして見ることができるのか、

元気でいなければと健康でいることの大切さを改めて感じていた

祭り旅の途中でございました。

(秩父宵宮 中町通りにて)