今年ほど 祭り を追いかけた年はないだろう、

その祭りの中に身を置いてみると、今まで漠然と感じていた

ことが今年ほどはっきり感じられたことはなかったのです。

言葉に出してみると

「天命を知る」ということ、

天とは天地自然万物の存在を貫く強大なエネルギーである、

決して目で確認できるものではないけれど、確かにこの宇宙を

取り巻いている実感だけは感じられるのです。

その宇宙のエネルギーは、森にも、海にも、草も、虫も、勿論人間にも

すべてその影響を受けないものはないのです。

人間の命など、その宇宙自然のエネルギーの前では風に舞う木の葉ほどの

力もない ということをイヤというほど思い知らされたのが

昨今の連続する災害なのです。

人の命は、天命であることを思い知らされてみれば、

その目に見えない天の力に逆らうことは出来ないと知らされたのです。

古人たちは、その天のエネレルギーを 神 と位置づけたのです、

その神を敬い、その万分の一でもいい力を押し頂くことができたなら

天命が守られるかもしれない、

「神よ静まれよ」

その願いこそが 祭り そのものだということを

何度も、何度も確認するために、祭りを追いかけてきたに違いないと

しみじみ感じているのです。

今年の最後を飾る祭りは、「秩父夜祭」に決めました。

厳しい寒さの中で繰り広げられる「秩父夜祭」には

何度か訪ねておりますが、今年ほど、天命を感じながら

祭りのその日を待っている年はない気がいたします。

なぜ夜祭なのかをもう一度確かめたくて、久し振りに

峠を越えて秩父を訪ねました、

秩父屋台囃子がすでに打ち鳴らされている境内で

その神への奉納囃子をじっと聞き入る、

山人たちの魂を奮い立たせる太鼓の音が

彩を増した境内に響き渡る、

いつだったかまつり会館で夜祭の意味をお尋ねした、

それは伝説ですがと前置きしたあと

「武甲山の神様は男神で龍神なのです、里宮の秩父神社には

妙見菩薩という女神さんがおりましてね、空に北辰が現れる

冬の夜に、人間が盛大に祭りを行いその祭りが終わった後で、

妙見菩薩の女神さんが亀の上に乗って武甲山へ逢いに行くの

ですよ、だから夜じゃないと駄目なんですよ」

その老人は微笑みながら話してくださった。

最後に小さな声で

「武甲山さまには正妻のお諏訪さまがおられましてね、

一年一度、この祭りの宵だけお諏訪様から二人は逢うことが

許されているのですよ」

なるほど、そりゃいくら神様だって昼間からおおっぴらにはできませんよね、

夜祭の後でなければね、

こういう艶かしい伝説を応援するために、秩父の山人たちは

昔から盛大な夜祭を行ってきたのですよ。

そうと知ったら、何が何でも、もういちど秩父の夜を一緒に

楽しみたくなるではないですかね。

そうです、毎年12月2日は宵宮、そして12月3日がその逢瀬の宵なのですよ、

コートに襟巻き、手袋にブーツのイデタチで訪ねてまいりました。

私の祭り旅は終わることがない、日本中を旅していると町の景色が

均一化する方向に向かっているのです、チェーン店と言う名の同じ店が

何処の町にも蔓延って、まるで東京を写し取っているかのような

小東京があっちにもこっちにも出現、文化の均一化にヘキへとしていた中で、

毎年、50から60箇所の祭りを訪ね歩いておりますが、同じ祭り形式に出会うことは

ないのですね。

なぜなら、祭りだけはその町が伝え続けてきた文化が色濃く残されているから

なのです。

神幸祭というのは今ではほとんど祭りでは昼間に行列をつくって神を迎える

ために行うのですが、

ここ秩父ではその神幸祭を夕闇が覆い始めた夜になって行われるのです。

その本当の理由は判りませんが、あのまつり会館の方の教えてくださった説も

まんざらではないかなと思われるほどに町衆が秩父神社の女神様を神輿にお乗せして

仰々しく行列を作る様がとても人間味溢れる祭りに思えてくるのです。

そしてその神幸祭に何が大切にされているかとじっと目を凝らしてみますと、

神の依代として、大きな奉幣、神馬、神輿が同時に使われるということ。

大きな奉幣は神木にかわるものでしょうし、神をお乗せする昔からの風習としての

神馬、そして比較的新しい華麗な神輿がすべて使われているところに、

この祭りの伝統が垣間見られるのです。

今や秩父夜祭の一番の見せ場は屋台・笠鉾の曳き廻しばかりが脚光を

浴びておりますが、屋台・笠鉾はあくまでも風流(ふりゅう)としての

役どころ、神事はなかなか変わらないでしょうが、風流とは常に新しいものへと

変わりやすいものですから是からはどう変わるかも興味のつきないことですね。

武甲山の男神との逢瀬に旅たっていく大行列の後姿を見送りながら

秩父の無骨でありながら繊細な優しさを感じとっていた祭り旅の途中で

ございます。