何時もとは全く異なる視線でこの町を訪ねました。
昭和20年(1945)8月5日、その日は広島に原爆が落とされる
一日前のことでした。
米軍のB29爆撃機は夜の闇をついて市街地を無差別攻撃した。
通常爆弾61発、
破片集束弾(クラスター爆弾)88発、
集束焼夷弾3,455発、
(米国戦略爆撃調査団史料より)
上州の絹で栄えた詩の街はその80%が焼け野原となった。
街の中を流れる広瀬川にかかる比刀根橋近くにあった
防空壕の中では蒸し焼きのようになって人が亡くなった、
前橋の町だけで535人が犠牲になったと古老が話してくれた。
しかし、その広瀬川に飛び込んで命を失わずに済んだ人も
多かったという。
8月15日のこの国が終戦を迎える10日前のことなのです。
あれから62年、街の中にはその証跡は何処にもない、
あまりの夏の暑さに広瀬川から続く商店街には人の影もない、
焼け跡から復興した中核都市を目指す32万人の街は
もう忘れられた歴史、
思い出したくない歴史に触れられたく無いのだと理解しようと
思っていたが、出逢った若者からこんな話を聞いた。
8月4日の夕暮れとともに前橋市立中川小学校・校庭で
一本の映画が上映された。
それは昭和20年8月5日夜の前橋大空襲を舞台に戦時下をけなげに
生き抜いたバイタリティ溢れる子どもたちの姿を描いて、
平和を訴えた映画
『時計は生きていた』
1973年/共同・近代映画協会/パートカラー 62分
原作:木暮正夫?脚本:松田昭三
監督:神山征二郎?撮影:南 文憲
でした。
300人ほどの市民がこの映画を観る為に集まったという。
其の中に多くの前橋高等女学校生の音楽部の生徒さんが
観に来ていた。
彼女達は前橋の大空襲をテーマに下記のミュジカルを行うために
この映画を見に来たという。
2008年 前橋女子高等学校音楽部 第4回定期演奏会
2008年7月19・20・21日の3日連続開催予定
演目:「灰になった街」~昭和20年8月5日前橋が焼かれた日~
500人余の命が失われた前橋大空襲の悲劇を描いた
脚本:作詞:新 陽一
作曲:神山奈々
演出:武正菊夫
この街には語り伝える文化が深く根付いていることに
深い尊敬の念を抱くのでした。
再び広瀬川の辺を歩く、
平和の姿を其処に見つけていた。
広瀬川畔詩碑
-花なればこそ-
東宮七男
夕焼け熟れ
わくらば花のごとく燃え
渦まく風に
追われつ追いつ
きびしきあらがい夢と化す
うつせみの花を求めつ
今日もまた
暮れゆく川辺をさまよう
流れゆく
名もなき空の花なれば
ひたひた思いわずろうのみ
再び蘇った詩の街前橋
いつまでも麗しい街であり続けることを・・・
2007年8.7 前橋 広瀬川畔にて記す
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