除夜の鐘の音が近く遠く聞こえ始めると、

いろいろあった去年最後の大晦日が闇の中に吸い込まれるように

消えていった、

どんなに哀しく辛くとも、もう誰も取り戻すことが出来ない

去っていった年を見届けたように新たな年がやってくる、

人の意思の及ばぬことを、じっと見つめていることしか

出来ないその瞬間を新年を迎える喜びに替えてくれると

信じた人々がじっと手を合わせる。

繰り返される日々のたった一日ではない特別な思いのこもった日、

それが新年を迎える正月の朝なのです。

どんなに暗く長い暗闇の夜でも明けない日はない、

朝の光に包まれた時、

「ああ、生きている」

と感じることが出来たなら

それを幸せというのかもしれない。

令和五年元旦、

もう歩きだしています、

せかせかとあわただしさを感じるほどの活力は

発揮できないけれど

とりあえずゆっくりと歩き始めているんです。

「また逢えましたね」

稲荷家のオヤジさんと新年の挨拶、

なんでもないことが妙に嬉しいですね、

人込みをなるべく避けていたのに、その人込みの中に

身を置くことのなんという心地よさだろう、

「元気ですか」

「いい年になるといいですね」

すれ違う人みんなに声を掛けたくなる、

嗚呼、過ぎていった去年が置いていったのは

人を想う心だったんですね。

今年はおみくじではなくお守りを求めた、

一年を歩き続けられる保証など何もないことをイヤというほど

気づかされたことも去年の置き土産、

人間の力の及ばないことがすぐ目の前にあることを教えられたのも

去年の置き土産、

あとは神様仏様にお守りいただくしかありませんですよ。

それでダメなら天命と受け入れるだけ、

そうと判れば、怖いものなどありませんですよ、

過ぎた時を追い求めても戻れるわけも無い、

明日のことを思い描いても必ず手に出来る保証など何も無い、

あるのは 今ここ 精一杯今日を歩いていくだけですよ、

「日々是好日」

やっぱり此処へ戻ってしまった今年の決心を胸に

旅を始めてまいりますかね。