阿波おどりの原型を求めれば盆踊りへと辿り着くといいます。

盆踊りは祖霊を迎え送るため音曲と踊りで盆神さまやご先祖さまを歓迎し

また歌と踊りで送るという様式なのです。

しかし、盆踊りそのものが、その地区の最大の娯楽であったため一年に一度

心行くまで心のたまり溜まったモノを発散させる意味もあったのでしょう。

踊ることの楽しさ名残り惜しさを知った人々は、一年を待ってなお一層音曲に、

踊りに磨きをかけていったその集大成が 阿波おどりなのかもしれませんね、

その本場阿波から毎年

『ゑびす連』、『阿呆連』、『葉月連』、『天保連』、

『天水連』、そして 阿波おどりグループ『虹』などの面々が

やってきてくれました。

今や関東にも沢山の踊り連が生まれ、その表現、踊り、

音曲に磨きをかけておりますが、その目標になっているのが 

本場阿波の踊り連なのです。

関東に居ながらにして本場の阿波おどりが見られるのですから、

何をおいても出かけてきてしまうのです、

鳴り物が始まった瞬間、真っ先に感じるのは三味線の素晴らしさでした、

小唄の師匠を母に持つアタシは子供の頃から三味線の音色を聞きながら

育ったものですから、どうしても耳が三味線の音を聞き分けているのです、

三下がりの糸の音が、鉦と太鼓の音色に艶を増すその心地よさに

酔いしれてしまうのです。

舞台踊りは純粋に見せ方に心を注ぐ踊りかもしれません、

踊りの流れの中で、それぞれの所作、それは指先まで命の息吹を

感じさせるひとりひとりの舞いが重なって集約された美しさを醸し出す

表現力に惹き込まれてしまうのです。

あの女踊りの立ち姿の美しさを作り出す元とは何なのだろうか・・・

踊りの流れの中で気がついたのは、片足を上げた瞬間重心は

その残った足に加かっているものと想っておりましたが、

よく見ていると、上げた足の方へ重心を移しているんです、

その所作が女性の身体を棒立ちにすることなく、

反身の表現になっているのです、

それは連続する踊りの中で絶えず繰り返されているとは

何と素晴らしい表現なのでしょうか。

それは着物姿を一番美しく見せるのは、反身と捻られた

舞姿にあることを知り尽くした表現をいとも簡単に見せながら

踊り続けていることでした。

舞っているのはどなたも現代に生きる人々のはず、

その人々がひとたび踊り出すと、その舞姿が輝きを増し、笑顔が

その美しさに輪をかけているのです。

男踊りのすり足、

女踊りの優雅、

これを 『阿波の真髄』と呼ばずに何と表現すればいいのでしょうか

踊る阿呆が真剣なら、観る阿呆だって気合が入ります、

最後の鳴り物が決まった瞬間、大きく吐き出した息が

そのことを気づかせてくれました。

恐るべし、阿波の真髄!

(2018年 南越谷阿波踊り にて)