どうやら常陸の菅原道真公は大生郷天満宮が核になっている

らしい、しばらくは常陸野を彷徨う旅になる予感がいたします、

寒風にさらされながら、俯いて歩く畠道も、その先に

筑波の峰を仰ぐと急に元気になるから不思議ですね。

大生郷天満宮で聞いたのは、道真公の第三子三郎景行に

ついてでした。

三郎景行によって建立された祈願寺がすぐ近くにある、

鬱蒼とした森の中に、延長7年、大生郷天満宮の別当寺として創建した

「正覚山蓮前院安楽寺」です 、

大生郷天満宮と同じ年に多分これほど大規模ではなかっただろうが、

祈願寺まで残した三郎景行にそれほどの力があったのかは

はなはだ疑問である、誰が力を貸したのか、時代背景を想像するに

常陸大掾一族、平良兼、源護などの名が浮かんでくるのです。

想像はひとまず置いて、静まりかえった森の道を

辿ると山門に区切られた境内が現れる、

どうやら東西南北に四箇所の出入り口があるようです。

南門の前に天をつくようなカヤの樹が聳え立っている、

この森がいかに大切に護られてきたかの証のようである。

ほとんど人の気配のしない境内へ歩を進めると、

かなり強烈な香りが漂っている、

さすがに天神様を祀るだけに梅の香りかと見れば、

梅の香りを覆い尽くすように蝋梅の花が満開で迎えてくれた。

それにしても梅鉢の印が見当たらない、

千年もの気の遠くなる刻を生き延びてきた安楽寺にも

戦による焼失、宗派の変遷等何度も消えてしまう歴史を

繰り返していたのでしょう。

この安楽寺を救ったのは、徳川家康の側近 南光坊天海、

天海といえば、私が散歩する上野忍岡に寛永寺を創建した

天台宗の大僧正、そういえば、上野の慈眼堂(両大師)に

天海僧正の像が祀られておりますが、その天海僧正が

ここ安楽寺を天台宗別格本山にまで格上げされたことで

今日までこの地に歴然と残されたに違いありませんね。

天海僧正が最も尊敬したのが平安時代の高僧慈恵大師良源、

命日が正月の三日であることから、「元三大師」の通称で

親しまれている。

角大師とも呼ばれ不思議な姿が庶民の間でも魔除けの護符として

信仰の対象になっている、良源が鬼の姿に化して疫病神を追い

払った時の像であるという、

天海は陰陽道を重視したため、江戸城の鬼門として

上野寛永寺を造ったという、

鬼門とは北東(艮)の方向、天海僧正は陰陽道にも

長けていたのでしょう、

寛永寺からさらにその先にあった安楽寺を鬼門封じとして

再興したのだろうか、天海僧正はこの地が菅原道真縁の地

であることを知っていたはず、ならば、怨霊としての

道真公を封じることもその念頭にあったのでしょうか、

今は、まったく天神宮の面影はない、境内の中心には、

あの天海僧正が最も尊敬していた慈恵大師が

元三大師として祀られている。

おみくじの創始者は慈恵大師だと云われている、

あの不思議な角大師の護符をいただき、大師堂に手を合わせる。

安楽寺創設の三郎景行の残したものはすでに歴史の陰に消されて

おりました。

さて常陸野の草枕、次はやはり三郎景行の姿を

追い求めて旅を続けてみますかね。