地獄を見てきた翌日は花に囲まれた天国の花園で

目を細めて香気に身をゆだねておりますが、

もしかしてこれって 邪淫 の罪にはなりませんですよね。

バラを眺めて妄想していたら地獄に落とされたとあっては

こんなに割りの合わないことはありませんでしょ。

まさか脱衣婆が耳を澄ましてじっとこちらを見つめて

いるのじゃないでしょうね。

どうやらまだ地獄の妄想から戻りきれない気分ですよ。

ところで、気がつけば本日もバラの花園です、

「私は病人です、罪人ではありませんからね」

まさか薔薇行脚は罪にはならないでしょう。

実は薔薇は二万種類もあるとか、そのひとつひとつに

それぞれ名前が附けられているのですよ。

どこかの国の女王様のお名前があるかと思えば、

昔の画家の名前、あの美人の女優さんもあれば、

国の名前、大統領の名前、おまけに横文字ときては

もう最初から名前を覚えるなどというのは奇跡でもおこらなければ

所詮無理なはなし、ですから、色で分けることにいたしましょうかね。

紅い薔薇、白い薔薇、黄色い薔薇、中には緑や青い薔薇もちらほら、

これくらいならアタシでも区別つきますからね。

紅い薔薇の前で、一人の男の名前を思い出していました、

その名は「村山槐多(ムラヤマ カイタ)」

もう百年前の男、いや青年だった画家なんです。

その村山槐多の描いた絵の中に「バラと少女」という作品があるのです。

最初にその絵に出会ったのは 東京国立近代美術館でした。

庭に咲くバラの前にまるで夕陽を浴びているような少女の姿、

そのバラの色も、少女の着ているきものも帯もそして少女の頬も

茜色に染められているのです。

日本の美術館を訪ねる旅のきっかけになったのが、

この『バラと少女』だったのです、

村山槐多はわずか22歳5ヶ月でその生涯を終えてしまうのですが、

彼の残した作品だけはこの世に残されているのです、

その彼の作品を見つめるために旅を続けたのはもう昔のことですが、

「カンナと少女」

「尿をする裸僧」

「自画像」「裸婦」

その多くの作品に残るのは彼が最も愛した色 ガランス(茜色)でした。

あの『バラと少女』に込めたガランスは

彼の命そのものだったのです。

そんな彼の姿がバラの庭に見え隠れしているような

気がしてしまいましてね。

彼がガランスで命を吹き込んだバラの花は

どんな色だったのだろうか、

紅いバラを見つめながら記憶の中のガランスのバラを

思い出していたのは もしかしたら、

バラが村山槐多を連れ戻してくれていたのかもしれない。

「一本のガランス」 村山槐多

ためらふな、恥ぢるな
まつすぐにゆけ
汝のガランスのチユーブをとつて
汝のパレットに直角に突き出し
まつすぐにしぼれ
そのガランスをまつすぐに塗れ
生のみに活々と塗れ
一本のガランスをつくせよ
空もガランスに塗れ
木もガランスに描け
草もガランスにかけ
□□をもガランスにて描き奉れ
神をもガランスにて描き奉れ
ためらふな、恥ぢるな
まつすぐにゆけ
汝の貧乏を
一本のガランスにて塗りかくせ。