『山家橋』

   うき世にはかくる心はなけれども

   わが山河に橋なくはあらず

熊谷直好 天明二~文久二(1782-1862)

 (捨てたはずの浮世に未練はないと思っていたが

  山川に架かる橋は、浮世との間に残された唯一の絆であることよ)

なんとという切ないこころを詠う人なのだろうか。

田山花袋は自然と人間の交渉を歌った熊谷直好を天真流露の自由の人

と記している。

はらりと舞った鮮やかな紅の葉はその山川の流れに身をゆだねると

あっという間に流れ去ってしまった。

浮世の川もきっとゆったりとは待ってくれないのだろう、

逆らわなければ何処までも流されていく、

その行く末など誰も知りはしない、いや、知らなくてもいいことなのだと

思いなおしてその山川に沿って歩を進める。

間もなく闇がやってくるだろう、

吹き降ろす風がもう少し強ければあの黒雲を掃い、冷気に瞬く星を

集めてくれるかもしれない、

そんな微かな望みを糧に半ば黄色く、半ば緑の林を抜け、やがて

広々とした大空の下に飛び出していた。

草紅葉の果てに浮かび上がる闇の山並み

確か鹿の声を聞いたあの場所に違いない、何度も耳を澄ますが

風が白樺の梢を揺するだけ、

すでに陽は西の空に沈み、刻一刻と大空を

染め分け始めている、

微かな光の中に集まるだろうあの世の魂を

見つめているのかもしれない、

秋のはずだと確信して此処までやってきたが、

もうとうに秋を乗り越えた冬が仮面を剥いでいる。

 『夜落葉』

  夜もすがら木の葉かたよる音きけば

  しのびに風のかよふなりけり

             熊谷直好

再び熊谷直好の声を聞く、

薄れていく意識のように視界は目の前から消えた

頼るのは微かな音に反応する聴覚と

頬を撫ぜていく風の感触

すぐ足元から鳥の羽ばたきにドキッとさせられる

もしかしたら、あの世は真の闇なのだろうか、

何も見えない闇の中から吹いてくる冷たい風に身をさらしている

これから何がやって来るというのだ・・・