歴史書を紐解いても判らぬほどはるか昔からこの地に

奉られている大平山神社は1000段以上の階段を登りきった

先にある。

以前、四国の琴平神社を訪ねた折、1365段の階段に恐れをなし

参拝を断念したことがある、悔いが残ってしまい、

あれ以来どんな長い階段も登りきろうと心に誓ったのですが、

その意思とは裏腹に、衰えていく体力と息切れは

ますます顕著になり、そろそろ限界かもしれないな

とまた弱気の虫が頭をもたげ始めておりましてね。

さて雨にけぶる大平山神社の1000段の参道は

少しでも参拝する人の心を和らげようと下から神社まで

紫陽花の花が迎えてくれるのです。

六角堂からゆっくりと登り始める、夕暮れの参道は思いのほか

人影も少なく、この階段に断念する人が多いのかもしれない。

急ぐわけでもない一人旅、のんびりと登っていると一人の老婦人に

出会った。

観光バスでここまでやって来たが、自由時間に限りがあり

とても上までは行かれそうもないと途中で休んでいるらしい、

「私、絵を描くのですが、この紫陽花を描いてみたいと

 連れてきてもらったのですけれど、写真を写して、

 帰ってから思い出しながら描いてみようと思うのです」

「そうですね、この辺りから上に続く階段を

 取り入れたらいいかもしれませんね」

そんな会話を交わしていたが、彼女の後ろから登ってくる人はいない。

「どなたも来られないですね」

「ご一緒した方は皆さんご高齢でこの階段に

 恐れをなしてしまったようです」

「それでも、ここまで登れたということは、

 まだ若いということですかね」

彼女は、写真を写し終わると、

「私もそんなに若くないのです、この辺りで戻ります、

貴方はまだ上に行かれるのですか」

「のんびりと登っていきますよ、まだ年寄りには間があるつもりでね」

「私たちの分までお参りしてきてくださいね」

何だか急に気持ちが引き締まってしまいましてね。

「それじゃ、素敵な絵を描いてくださいね」

鳥居を過ぎる辺りから鬱蒼と茂る森の中の道は

湿気と噴出す汗で見た目の美しさとは裏腹の難行苦行の

修行道でございますよ。

聳え立つ大杉のたもとで大休止、降りてきた若者に

「あとどれくらい登りますかね」

と尋ねると、

「そうですね、300段位かな」

こりゃよっぽど心を強く向かわないと挫折しそうですよ。

随身門までくると、まるで愛宕神社を思わせる急階段が

まっすぐ真上に続いているじゃないですか、

何度も息を吸い込んで、

10段登っては小休止、を繰り返して半分までくると

下から四人の若者が掛け声ととともに一気に上り切っていった。

どうやら高校の運動部の面々らしい。

心臓が口から飛び出しそうになりながらやっとの思いで

神社にたどり着くとその若者たちが拍手で迎えてくれた。

「おじさん、一番下から登ってきたんですか」

「ああ、死ぬかと思ったよ」

アタシもそこにへたり込んでしばらくは動けない程でしたよ。

若者たちは「もう一本行くか」

とその階段を飛ぶように降りていった。

若いって素晴らしいな、おじさんだって昔は山登りなど

得意分野だったのにね。

誰もいなくなった境内には 『夏越の大祓』の茅の輪がありましてね。

「水無月の夏越しの祓する人は ちとせの命のぶというなり」

とぶつぶつつぶやきながらその茅の輪を三度くぐりましてね、

これで身体中にこびり付いてしまった半年間の罪穢れが祓えたとおもえば

なにやら身体まで軽くなったような気分でしたよ。

それにしても『紫陽花坂』という優しい名とは裏腹に

修行僧になった気分を味わえる美しい坂道でしたよ。

先ほどの若者たちのように「もう一本行くか」

なんて口が裂けても言いませんからね・・・