川崎を訪ねたのは何十年ぶりでしてね、

アタシ等の若い頃、といってももう半世紀も昔のことに

なりましたが、日本が高度成長を目標に経済重視で突き進んで

いた時代で、京浜工業地帯の中心のような川崎は、現代の中国と

同じで、煤煙で煤けていた印象ばかりが強くて、とても寄り付く

気分にはなれなかったことを記憶しておりますよ。

当時も流行に敏感だった若者は、川崎を素通りして横浜に直行して

おりましたな。

(地元「ぎんぎん連」)

その川崎が人口百万都市に成長したのははるか40年も昔、

それからも年々人口増加は続き、今や百五十万都市になんなんと

する大都市になっていたんです。

その川崎市になぜ興味をもったかといえば、10、11月に秋のイベントを

開催するというのです。

「川崎競馬秋まつり」、「かわさき阿波おどり」を皮切りに港まつりに、

ハロウィンあり、ジャズまつりなど毎週のようにフェステバルが

開催されているというのです。

「フェスティバルなかわさき」と銘打って行われている川崎に興味を

持ったのは、祭り好きの性だございますよ。

(若さ溢れる「燦々」)

さて本日は30年も続いているという「かわさき阿波おどり」にやってきたのですが、

川崎駅に降りてもうびっくり、駅前はビルに囲まれ、行き交う人の波に

まっつぐ歩けないような混雑、はて、その阿波おどりはどこでやっているやら

なにしろポスターもありませんので、行き交う人にお訊ねしても、

それぞれ買い物や、イベントが沢山あって情報が得られず、あっちへウロウロ、

こっちでウロウロ、行き着く前に疲労困憊、とりあえず啼きだした腹の虫を

黙らせるために飲食店へ、いやいやこの街は無いモノなどありませんね、

欲しいモノはなんでも手に入るギラギラした街に変身していたんですね。

(三味線がロックの「ほおずき連」)

食事を済ませ再び雑踏の街へ、耳を澄ますとあの聞きなれた太鼓の音が聞こえて

きました。どうやら普段ならバスの発着するスペースを旨く利用して会場造りが

行われているようです。

それにしても若い客層が溢れておりますな、

最初に登場したのは地元幼稚園の園児達、みんなばらばらに手や足を動かして

居るだけなのに可愛さが全てを上回りヤンヤの喝采で阿波踊りの幕が上がった

ようです。

若いお父さん、お母さんは即席カメラマンに早代わり、その幼稚園一行の

演舞が終わるとあっというまに空いてしまったのには世相を見る思いですな。

(初めて観た「相洲大和あずま連」)

阿波踊りは関東では大人気で、彼方此方の町で行われておりますが、

百五十万都市の真中で、ビルに囲まれて果たしてどんな雰囲気になる

のか、見つめておりました。

最近は、阿波踊りの演舞は舞台踊りばかり見ておりましたので

街流しは久しぶりです、それに、初めて見る連がどのような

阿波踊りを見せてくれるのか・・・

地方(じかた)連の鉦の音が合図で、太鼓が鳴り響き笛が、三味線が

あの独特の二拍子を刻むと、踊り手たちがにこやかに踊りだす。

(美しさが際立った「湘南なぎさ連」)

大所帯の連はなく、こじんまりした人数ではありましたが、

皆さん、達者な踊りを見せてくれますよ。

あの揃いの衣装が地方のリズムに乗り出すと、ここがビルの街だと

いうことを忘れてしまいました。

阿波踊りが、場所を選ばない理由は、もしかしたらあの衣装と

地方連の歯切れのいいリズムにあるのかもしれませんね。

特設ステージを終えた阿波踊り連は駅前大通から銀座街のアーケード通りへ

高円寺の商店街を思わせるアーケードではぐるりを観客が取り巻いて

踊り手たちも熱が入っていることがわかります。

(おおとりを一人踊りで締めてくれた若者「湘南なぎさ連」)

阿波踊りは、観客が居ることで盛り上がるのですね、

踊り手が居て、お囃子が鳴り響き、観衆が喝采をあげれば、

其処が祭りの会場になることができるのですね。

阿波踊りが年々増えていく東京、

人口が多ければ多いほど阿波踊りは成り立つことを

垣間見せていただいた川崎の祭りでした。

それにしても人の多い街ですね、川崎は・・・。

(平成27年10月)