めずらしく好天気が続いた連休、行楽地は人・人・人、

「こういう時は暇人はじっとしているに限る」

と東京にへばりついていたが、その東京は今や

最大の行楽地だったのですよ。

東京から人が出て行って静かになるはずでしたのに

入れ替わるように押し寄せてきた観光客のみなさんに

浅草は客・客・客の嬉しい悲鳴、

どっと疲れの出た浅草に久しぶりの雨、

なんだか忘れていた静けさにほっとする。

喧騒の中では気付きもしなかった雨音にそっと耳を傾けて

いると、なんだか懐かしい人が偲ばれてくる。

もう何十年も通った馴染みのとんかつ屋のオヤジさん、

雨が降ると思い出すのですよ。

無口で必要以外のことは一言もしゃべらず、黙々と仕事を続ける

オヤジをいつも支えていたのが、気さくで明るい女将さんでしたね、

この店のやり方は愚直そのもの、何でも電化されていく中で、ご飯は

お釜で炊き上げる、そのふっくらした白米に常連は目じりを下げて

「オヤジの飯は旨いな!」

すると、なんでそんなことに感心するのだとばかりに、

「昔からご飯はお釜で炊くものだ」とひとこと、

具沢山の味噌汁はそれだけでおかずになるボリューム、それも

オヤジの拘り、そしてカラッと揚げたてのとんかつは毎日食べたって

胸焼けなんかしやしない。

職人気質のこのオヤジにも弱点がひとつだけあってね、

目の中に入れても痛くないほど可愛い娘さん、オヤジに似なくて

頭脳明晰、下町の名門、昔の府立第一高等女学校に通っているのが

オヤジの密かな自慢でね、

ところが、昼過ぎから雨が降り出してくるとこのオヤジさん、

落ち着きが無くなるのですよ、

「ちょっと出かけてくらぁ」

長靴に白衣の姿に手には傘二本、

「女将さん、この雨の中。オヤジどこへ行ったのさ」

「娘の学校よ、娘が濡れちゃ可愛そうだってああして

 傘持って娘の学校へ迎えに行くのよ」

「娘さん、もう高校生だろ」

「そうなのよ、娘は嫌がるのだけど、来ないでなんて云ったら

あの性格だからすぐにしょげちゃって仕事もしなくなっちゃうからね、

だからさ、いつも、雨がふらないようにアタシは祈ってるのよ」

娘さんが小学生の時からずーっと雨の日はそうやって傘を届けてきたから

今更止めてって云えないじゃないかと女将さんは半分嬉しそうに笑うだけ。

病気ひとつしたことの無かったその女将さんが不治の病にかかり

あっけないほど簡単に逝っちまってね、

それからというもの、オヤジの無口はますますひどくなり、

笑いが消えちまった、あの店は女将さんで持ってるともっぱらの

評判だったからまるで灯が消えたようだったよ。

娘さんが、アタシが手伝うからとその代わり、時代に合わない古い店を

改装しようと提案したんですよ、

おやじは身についた昔のやり方のままでいいと、反対だったんですがね、

娘の意見には面と向かって反対って云えなかったですね、

しばらく営業を止めて店兼自宅の改装が始まってね、

あのとんかつが食べられない常連から

やいのやいのの催促、やっと完成した新店舗に駆けつけると

オヤジの仕事振りが違うのですよ、

何十年もやってきた仕事の段取りが出来なくなって

いらいらしてるのがこっちまで伝わってくる、

そんなある日、そのオヤジがポックリと逝っちまった、

「ありゃ、女将さんが見るに見かねて呼んだに違いない」

と御焼香しながらみんなで話し合ったんですよ。

雨が降るとあの融通の利かなかったオヤジさんの顔が浮かぶんですよ、

早いね、もうすぐ七回忌だよ・・・

手間隙惜しまない愚直なオヤジの店がまたひとつ消えちまった、

頼むからあの金太郎飴みたいなチェーン店だけは浅草に来ないで欲しいよ、

あのオヤジの味が食いテーな!

オヤジさん、お前さんが唯一笑顔を見せた三社祭りが

今年も始まるよ・・・

(2017年5月記す)