(唯信寺)

私の大好きな町のひとつに飛騨古川があります、

その飛騨古川では毎年一月十五日、親鸞聖人の遺徳を

偲んで町内の「本光寺」、「真宗寺」、「円光寺」、

の三つのお寺をお参りする習わしがありましてね、

雪の降りしきる夜の路に和蝋燭が灯され、若い男女は

誘い合って三寺をへ出かけるのです。

「嫁を見立ての三寺参り」「髪を結わせて札参り」とも

言われ縁結びの行事として江戸の昔から今の時代まで

静かに受け継がれているのです。

季節は異なる春の桜が咲く季節、常陸の国は親鸞聖人が

越後流罪の後、京都に戻ることなく二十年に渡って

布教を続けた地でもあるのです。

宍戸の域主宍戸四郎知家の三男、山城守義治は

稲田草庵の親鸞聖人に帰依し法名を唯信と賜り常陸の地に

唯信寺を建立したといいます。

現在は笠間の地にその唯信寺があると聞いて早速訪ねて

まいりました。

(光明寺)

迎えてくれたのは鐘楼を包み込むような満開の枝垂れ桜でした、

境内には親鸞聖人の旅立ちの姿を写したという聖人像が

優しい眼差しで見つめています。

樹齢八百年と伝わる椎の大樹の元には、唯信房の墓碑が置かれて

いる。

先に訪ねた光明寺は桜に覆い尽くされた桜寺、ここ唯信寺も

桜の大樹、そしてまるで並ぶように三つ目の完全寺にも枝垂れ桜が

天に向かって咲き誇っているのです。

「ああ、これは三寺まいりですね」

桜が結んだ縁はもしかしたらあの飛騨古川の三寺まいりに

劣ることのない縁結びの功徳があるやもしれませんよ。

(完全寺)

はらはらと散り始めた桜の花が髪に肩に降りかかる中を、

順繰りに三寺を巡ってまいりました。

若い二人は、枝垂れ桜の下でその散りかかる桜花をじっと

見つめている、

若い母親に連れられてきた幼子は天に向かって歓声をあげた、

「ママ!さくら、さくらよ」

年老いた母親の手を引いてやってきた女性は、

桜の下に母親と一緒に立ち止まると黙って天を見上げていた。

一年のたった十日間かもしれない桜咲く里で三寺まいりをした人は

ほんの僅かかもしれない、仏縁と桜の縁が幸せを運んでくれたとしたら

こんなに美しい花の縁は他にないかもしれませんよ。

かつて見つめた飛騨古川の三寺まいりを思い出しながら

いつまでも桜を眺めていた桜旅の途中のことでございます。