「ボロ市」と聞いただけでジーンと感じることができるのは

もしかしたら昔の「ボロ市」を体験している年寄りだけかも

しれないと懐かしさを感じたくて今年もやってまいりました

世田谷の「ボロ市」

あたしの町でも「ボロ市」はありましてね、それこそサーカス小屋や

お化け屋敷があったりとそれはそれは賑わっていたものでしたが、

世の中が豊になるとともに、その時代についていけず今はさびしい市に

なってしまいまいましたが、それでもまだ続いてはいるのですよ。

さて、こちら世田谷の「ボロ市」は、

何でも江戸時代の前から続いているというのですよ、

ものすごい人波に恐れを感じながら潜り込むと、

あのテキヤさんの露天商はまったくなく、古物商さんによる骨董市のようですね、

こちらも、どうやら昔は農具市だったのでしょうね、臼に杵なんていうのから

神棚、鍛冶物から古着まで、なんだか昔のボろ市を思い出しますな、

時代のニーズを上手く取り込みながら、昔の面影も残すというやり方が

このような大勢の人々の共感をよんだのかもしれませんね、

東京でもう一箇所開かれている練馬武蔵関の「ボロ市」にも行ってみたのですが、

こちらは、ほとんどが食べ物や射的といった、どこでも祭りになると

集まってくる様子と変わりありませんでしたな。

露店の数を競うなら、秩父夜祭、大宮氷川神社の「十日市」、

浦和調神社の「十二日市」などは、もう歩くのがやっとというほど

人波に押されながらやっと神社にたどり着くという賑わいに

もうそれだけで元気をもらえそうな気がしますが、とても一軒、一軒店を

覗き込む余裕もありませんでね。

さて今年で三回目の「ボロ市」訪問ともなると、勝手もわかりますから

店をじっくりとながめながらのなにやら宝探しの気分になりますな。

それに、ここはお参りする神社仏閣があるわけではないので、純粋に

宝探しに没頭できるわけで、人の多さのわりに、せかせかしないのは

みんなのんびりと目当ての品物を物色する余裕があるからなんですね。

アタシは、土雛をあれこれ探して、天神様と目があってしまい、

その天神様を手に

「オヤジさん、これいくらにしてくれる」

「旦那、目が高いや、珍しいでしょ」

とこちらの欲しい気持ちをうまく持ち上げながら

指三本出してニヤリ!

「もう一声!」

「そんなにお気に入りならヨオガス、フタツハン」

「よし、買った!」

浅草の羽子板市と同じですよ

スーパーで買い物するわけじゃありませんでしょ、

店主と客のやり取りを楽しむのがこういう「市」の楽しみ方

なんですよ。

今はやりのインターネットの買い物じゃ、こういう楽しみ方は

できやしませんよ、

電車乗って大勢の人に揉まれてわざわざやってくる意味が

どこにあるかわかった人たちが、きっと何度もこの「ボロ市」に

訪ねてくるに違いありませんよね。

好奇心を刺激する世田谷の「ボロ市」の行く末がますます

楽しみになりました。

(まだ平成といった年の瀬の頃)