佐原小唄

八坂七月諏訪さん九月 ヤッコラサ~
派手なお祭り 関東一 ホイ
派手なお祭り 関東一
佐原よいとこ 水の郷
サッサ佐原は ヨイヤサ~

さっさ踊れよ円くなって踊れ~ ヤッコラサ~
佐原小唄の 足拍子 ホイ
佐原小唄の 足拍子
佐原よいとこ 水の郷
サッサ佐原は ヨイヤサ~

(最初はやはり 砂切 でした)

佐原の祭りと聞くと、佐原囃子と山車の曳き回しが

まず浮かびます、あの哀愁を帯びた佐原囃子の音律に

江戸囃子とは明らかに異なる祭り文化に感じ入って

佐原通いがもう四半世紀も続いておりますよ。

外から見るのと、その祭りの中に紛れ込んで祭りを

内から見るのとは感じ方が全く異なることを教えられた

のが富山の八尾と此処佐原でした。

(「布舞」は二人立ちの獅子舞)

祭りは神の存在を信じた人々が神に喜んでいただけることは

何だろうというところから全てが始まるのですね、

人が嬉しい、楽しいと感じることなら神もきっと喜ばれるに

違いないと想い描いた古人たちは歌舞音曲を祭りの中に

取り入れたことは理にかなった選択だった気がいたしますね。

(「剣舞」 明らかに悪霊祓いの所作でした)

神に奉納するために祭り囃子が演奏され、当然のように神楽舞いが

演じられたのは、祭りを楽しむ人々にも大いに受け入れられた

のでしょうね。

神楽はやがて里神楽の形で祭りの中に取り入れられると、

神事でありながら、祭りを見に来ている人々の娯楽の一環として

大衆性を帯びてくるのは時代の要請だったのでしょう。

祭りには神輿振りあり、山車曳き回しあり、船渡御あり、

祭りの形は異なっても、神楽が祭りを影で支えていることが

見えてくるのです。

(「鈴舞」 鈴は祓いの象徴)

最近、江戸里神楽に魅せられてからは、里神楽を探す旅も

始めておりましてね。

特に関東の祭りには里神楽が当たり前のように演じられて

いるのです。

此処佐原にも数々の里神楽が存在していることを教えられ、

調べている中に、牧野太神楽の存在を知りましてね、

(「狂い」 かなり大きな獅子の舞)

江戸時代から続いていた牧野太神楽も戦後途絶えてしまった

と聞き、残念に想っておりましたが、その牧野太神楽が

五十数年ぶりに復活したということを教えていただいてからは

いつかその太神楽をこの眼で見てみたいと念じていたのです。

その願いが今年の佐原大祭の中で見ることが出来たのです。

江戸里神楽では鳴り物は笛、大拍子、長胴太鼓ですが、

牧野太神楽では佐原囃子の下座連による演奏で

演目は「幣束舞」

 砂切・布舞・剣の舞・鈴舞・狂い

此処までは多分に神事の一環のようでしたが

此処からは地芝居のような大衆性を前面に出した

娯楽性が出てまいります。

多分余興演目なのかもしれません、

「鬼・鍾馗・医者と看護婦」

筋書きは非常に判りやすく、

獅子頭の前に奉納されていた「天照皇大神宮太平串」を

鬼が奪いにくるのです、

その鬼が逃げようとするところに現れた鍾馗によって

成敗されてしまい、鬼は長々横たわっているところに

医師が看護婦を従えて登場、その動きがすべてコミカルで

会場から笑いが起こります、

(突然 鍾馗が現れ鬼を成敗してしまう)

(ひょっとこの医師とおかめの看護婦の登場)

このミョウチキリンの医師の治療によって鬼が再び

息を吹き返すところで幕となるのですが、

いままで数多くの神楽を見て参りましたが、どこにも

ないかなり軽妙な舞台構成に、時間のたつのも忘れ

大いに楽しませていただきました、

神楽とは決まった形などないのかもしれませんね、

いかに神を祭り人を楽しませるか ということの

想いが詰まった太神楽でございました。

拍手喝采でございます。

(2017.07.16佐原の大祭にて)