旅の途中

光町虫生 「鬼来迎」その1

お盆の行事はその地域でそれぞれ違うものですが、

ご先祖を敬い、祖先の霊を祀ることではどうやら一致して

いるのです。

各家庭に、盆棚を設え、迎え火を焚き、盆踊りを舞う、

盆提灯を灯したり、燈籠流しを行ったり、

ある地方では施餓鬼を行い、餓鬼道に陥った亡者を

救ったりする行事が行われているのは、すべて

祖先を敬う行為の表れなのですね。

アタシには明治、大正、昭和、平成と95年間も生き続けた

祖母がおりましてね、

アタシはこの婆ちゃんが大好きで、子供の頃、

何か不思議に思うことがあると、

必ずこの婆ちゃんに聞きにいったものでしてね。

「婆ちゃん、お盆ってなんだ?」

この婆ちゃん、物知りに輪をかけて人を驚かすことが大好きでね、

「お盆ってのはな、地獄の釜の蓋が開く日でな、

だからこのお盆の間に悪さしたり、川や海に入るとな、

この地獄の釜の中に放り込まれてしまうんじゃ」

「地獄って恐ろしいところなんだね」

「地獄の手前にははな、三途の川が流れておってな、

そこに閻魔様が待っていて、嘘つきな子は、

ペンチで舌を抜かれるんじゃよ、もっと悪いことを

した子はな地獄へ送られて大釜の中でグラグラと

煮てしまうのじゃ」

アタシはその話を聞くたびに振るえあがったものでしてね。

どうも、子供の頃に聞いた話というのは、いくつになっても、

頭のどこかにこびりついておりましてね、

アタシが異常に歴史や民俗学に興味を持ち出したのは、

あの婆ちゃんのお陰かもしれませんですよ。

今思うとアタシが日本中を旅するきっかけもみんな出発点は

あの婆ちゃんの話だったにちがいありませんですな。

もう二昔ほど前、その地獄を表現した仏教劇を知ったのも

旅の途中のことでした、

千葉県匝瑳郡光町虫生の集落で、

「鬼来迎」という仏教劇が鎌倉時代頃から今に演じ続けられて

いるというのです。

ところが、この「鬼来迎」は毎年8月16日と決まっているため、

中々都合がつかずに年を重ねるばかりでした、

今年その機会に恵まれ、鬼姫様を誘って虫生(むそう)の集落を

訪ねました。

そこは、もうイネの穂が実をつけはじめたのどかな田園地帯で、

わずか24戸の集落がその伝承を鎌倉時代から伝え続けていることに

驚きを通り越し、身体が震えるほど感動させられたのです。

光済寺はイネの穂が実る畦道の突き当たりにありました、

朱塗りの仁王門を潜ると、すでに境内は大勢の人で埋まっておりました、

本堂では、新盆供養と先祖供養の施餓鬼が行われている、

どうやらその施餓鬼が終わるまでじっと待つことになりました。

本堂からは読経が流れ、表では容赦のない夏の陽が照りつけ、

蝉の鳴き声が暑さを増す効果を示している、

「いやいや、まさか此処が地獄みたいですね」

と人々が冗談を言い合いながらじっとその時を待っている。

パンフレットをいただき、その仏教劇が

「大序」、「賽の河原」、「釜入れ」、「死出の山」

の四幕物の出し物になっていることを知る。

本堂での施餓鬼供養が終わると、集落の檀家の人々が、

蔵に納められている面や道具類を運び出す、

先ほどまで施餓鬼供養を行っていた本堂が、どうやら

楽屋にはや代わりになるのだろうか、その道具類が

次々に運ばれる、

その本堂楽屋では

装束に着替えどうやら、役に徹する用意に入っているらしい。

クーラーなどない本堂は全ての戸が開け放たれているため、

その様子が見えるところが身近な芝居を思わせるのです、しかし、

舞台を造るのも、演者も、囃し手もすべてその24戸の人々の手に

よって行われるのです。

(2016年夏)

Categories: 日々

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2 Comments

  1. 散人さま
     とても良いものを拝見させて戴きありがとうございます。
    開催日時と言い、開催場所といい
    たとえ何かのご縁で知ったとしても、到底みることが叶わない催事ですね

    胸ぐらをわしづかみにされたような衝撃と、泣きたくなるほどの懐かしさという不思議な感情になりました。
    たぶん・・私達の子どもだった頃には自然と語り聞かされて「ドキドキ・おそるおそる・ワクワクしながら妙に納得しすり込まれていたことが

    今もこうして連綿と行われている
    しかも24戸の小さな集落で!驚きました

    • 旅人 散人

      2017年8月24日 — 10:17 PM

      まい様

      雨ばかりの東京の夏にうんざりしておりましたのに
      いきなり太陽が顔を出した途端にまるで灼熱地獄の
      様相にただただじっと耐えるばかりでございます。
      「鬼来迎」を初めて目にした時は、まだ子供だった
      頃に何でも教えてくれた婆ちゃんの顔が浮かびまし
      てね、明治21年生まれの婆ちゃんは、もしかしたら
      この舞台劇を見ていたのではないかと・・・。
      新盆の供養が終わると、檀家の人々が蔵の中から
      道具をまるで当たり前のような仕草で運び出すと
      衣装を整え、音響も照明もない舞台の幕が開くの
      です、劇が進むにつれ、見ている人々は、その舞台
      の中に、自らの将来とすでに旅立っている両親祖父母
      の姿を重ねるのでしょうか、涙ぐみながら見つめて
      いるのです。
      見たことのない世界、想像の世界が目の前に繰り
      広げられた時、昔人も、現代に生きる人々も同じ
      感慨を持った気がいたしました。
      「まつりは生き物」だとつくつぐ感じておりました。

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