昨夜、久し振りに先輩のA氏から連絡をいただいた、

一本の電話の中に不安の響きを感じ取ったまま

A氏を訪ねると、

「癌なんだって、一刻の猶予もなしに入院宣告さ」

三,四年前から胃のあたりが重苦しかったのだが、痛みという

ほどではなくそのまま日々の暮らしに追われていたA氏は、

友人の医師を訪ね初めて胃カメラを呑んだという。

その結果は、友人だからはっきり言う と

宣告を受けたのだという。

A氏は全てのことを完璧に遣りこなしてしまう力量があり

また誰にも頼らずに今までの人生を自分の意思のまま生きてきた、

もう老境というには十分な現在、

痴呆の進んだ母を抱え、

要介護の妻の毎日を見守りながら、

ありとあらゆる重責を当たり前のようにこなしながら

生きてきたのです。

「長男として当たり前のことさ」

といって高齢の母を昨日、ふるさとの施設にお願いしてきたという。

そして、妻の介護は、

「子供達には夫々の人生がある、だから今まで自分が全てやってきた

 これからもそうするつもりだったが、まさか自分が倒れるとは・・・」

「先輩! もう自分以外の人を頼ったらいかがですか」

「自分達の人生を最後まで責任をとるのは当たり前じゃないか」

「本当にそうですか、確かに奥さんは貴方の奥さんですが、子供達にとっても

たった一人の母親ですよ、その母と父の一大事に何もさせないことが

子供達の人生にプラスになるとは思えません」

「オレが元気であれば・・・」

みるみるうちにA氏の瞳から涙が溢れた、

 無念、挫折、悔恨・・・

「明日入院が決まった、もうオレは何もしてやれない」

「今は、御自分のことだけを考えてください」

「いや、そうすることが一番怖いんだ・・・」

A氏は自分以外の家族の全てを背負い込むことで人生の最終章を

駆け抜けていたのかもしれない、

「誰が、何を言っても聞き入れない貴方の生き方をもしかしたら

神様が

『少しゆっくり休みなさい!』

と貴方に病気という休暇を 与えたのかもしれませんよ」

晴れ上がったこの秋一番の冷たい朝、

A氏は一人で、入院する病院へ向かって家を出た。

「必ず戻ってきてくださいよ」

朝の光をいっぱいに浴びた神社に向かって手を合わせた、

冷たさが心に沁みた朝です。