今年は元旦から晴天にも恵まれて初詣の人出も随分多かったようですな。

アタシも毎年決めていた赤坂日枝神社の参拝も40年

続けて一段落、ここ数年はお祭りでお世話になった神社、

その年の気の向いた神社と処を変え、名を変えてあっちだ

こっちだと訪ねまわっておりましてね。

さて、今年は何処の神社にするか・・・

昨年の暮れも押し詰まった日に、急に旅がしたくなり

出かけた先が下野唐澤山神社、

祀られているのは平将門追討の功により従四位下に昇り、

下野・武蔵二ヶ国の国司と鎮守府将軍に叙せられた

俵藤太こと藤原秀郷公でございますよ。

なにしろアタシは大の平将門贔屓でありまして、

将門公は坂東の地が生んだ英雄なんであります、

その将門を討ち取った藤原秀郷は憎き敵なり とはなはだ

偏った歴史観にまみれているのもいとわぬところが

将門贔屓の贔屓たる由縁なのでありますな。

唐澤山で坂東の地を眺めて東京に戻った時は、

来年の初詣はその将門を祀る神田明神に決めておりましたよ。

初詣の人出では明治神宮(昔、本殿まで4時間半かかりました)

成田山新勝寺(ここも将門に縁あり)、川崎大師などは

百万単位の人出でもう何が何だか判らないほどの大賑わい、

聞くところによると神田明神は三が日三十万人くらいらしい、

まあ、神田祭でその賑わいを先刻体験しておりますので、

気楽な気分でやってまいりますと、

なんと、三が日も過ぎたというのに人・人・人の大行列、

アタシは将門公に手を合わせたい一心で参りましたのに、

その行列のほとんどは、仕事始めの背広姿の大群衆でございますよ。

そういえば神田明神は縁結びにご利益があることで知れ渡って

おりましたっけ、

縁結びとは何も男と女の縁ばかりではなく、仕事に関する縁にも

効き目があるらしいのですな。

どうりで仕事始めのこの日には場所柄仕事に掛けるお父さんたちが

我も我もと集まってくるというわけなんですね。

1時間半の待機時間の末、やっとお参りが叶いました。

ええ、勿論、将門公への御報告、

「憎き敵の藤原秀郷は意外と善政を敷いた人として祀られておりました」

そうです、将門公も千年もの間、朝敵の汚名を着せられてまいりました

その汚名も、ついに、神田祭りに三ノ宮の鳳輦として復活したのですから

こんなに嬉しいことはありませんですな。

大群衆に押され押されて参拝を済ませると、その三ノ宮鳳輦の鎮座される

奉安庫の前でもう一度手を合わせるのでございます。

それにしても、1月4日仕事始めの神田明神は、神田祭をも凌ぐほどの

大騒ぎでございました。

きっとみなさんいいご縁をいただけましたよ。

さてとアタシは裏門からすーっと抜け出して、いつもの散歩へと

まいりますかね。

どうやら今年も、神社と祭りに明け暮れそうな年の始めでございます。

(神田明神にて)