ビルとビルの間から空が見えた。

あんなに暑かった日中も夕暮れが近づくに

従って体感温度は一気に下がり始めている。

「これなら歩けそうじゃないか」

とその空に向かってぶらりふらり、

東京にも広い広い空が一箇所だけあるんですよ。

銀座からふらり散歩には程よい距離の皇居前、

元気なマラソンマンが顔を真っ赤にして通り過ぎていく。

そういえば、アタシの卒業した学校は千代田区立、

恒例のマラソン大会はこの皇居一周がコースでしてね。

当時は我が母校は典型的な進学校、何しろ1学年500人もいた

生徒のうち100人は日比谷、東大へと進むのが当たり前の

学校ですから、右を見ても左をみても秀才ばかり、

地元で敵なしの優秀な生徒もこの学校に来ると、

自分は試験をやるたびにその他十派一からげの目立たない存在

なのだと思い知らされるのでありましてね。

そのうち、

「なんだ、オレは落ちこぼれ派だ!」

と確信するのは時間の問題なんでしてね、

それは厳しい社会の現実なんでありますよ。

その落ちこぼれ派(当然アタシもその派内でしてね)

が唯一目立つことが出来るのが、このマラソン大会、

半蔵門をスタートとすると、三宅坂ににむかって長い長い下り坂、

一番目立つのがこのスタート直後の順位争い、

何が何でも一番になるにはチャンスは此処しかないのでしてね、

とてもマラソンとは思えぬスタートダッシュは、

その落ちこぼれ派の中でも熾烈な戦いになりましてね、

でも、もともとが、勉強も運動も嫌いな連中のこと、

不思議なことに桜田門を潜り始める頃には、平地が

上り坂のように感じ始めるのでしてね、

とたんにペースは歩く速度、

ウサギと亀の物語が頭を過ぎる頃には、後ろからやってきた

勉強も運動も出来るといとても信じられないヤツ等に

次々と抜かれていくのでありましてね。

もともと頑張るのが大嫌いな面々ですから、次なる作戦に

切り替えるのでありまして、

指導係りの先生に

「あの、腹が痛くて走れません」

「お前達、仮病じゃないのか」

先生もメンバーをみればそう簡単には納得しちゃくれませんでね、

「そこで、少し休んでから走りなさい、

  必ず完走することが大切なんだから」

と教育的説諭。

結局ノソノソと走り出した時には、ビリッ欠を走るのでありますよ。

ゴールにたどり着けば、共学の女子生徒から軽蔑の眼差しを

受けることにあいなりまして

「あーあ、世の中は不公平に出来てるんだ」

と思い知らされるという、生きた教育の典型だったのでしたよ。

あれは、東京タワーがまだ半分ほどしか立ち上がっていない

昭和33年のことでしたね。

空を眺めていると、いろいろなことが思い出されてくるのですね。

もう100mも走れなくなった元落ちこぼれの生き残りは、

その思い出のマラソンロードを

ひとりのろのろ歩くのでございます。

都心の風も、確かに芯に秋の心地を含んでおりましてね。

さてと、またビルの街にもどって、歳相応に生きていきますかね・・・