阿武隈山系の丘陵地帯の中ほどに、今は美しい段々畑が

広がっている。

しかし、この田園地帯にも過酷な自然との戦いに明け暮れた

歴史があったことなど目の前の風景の中からは微塵も感じ

られないでしょう。

日照時間の少ない自然環境、毎年のように繰り返される豪雨は

蛇行する狭窄な川を一瞬にして濁流が飲み込んでいく、

人の手で耕された土地は流され人々は唖然とするばかりであったという。

『蛇盛塚の伝説』

今から1200年のほど前のこと、この鹿又字館地内を曲流する
流水を稲田に導くための工事を行った。

それは至難な工事であるため村を挙げてその役に従事しやがて
工事の完成を見る頃、この地に巣食っていた大蛇(オロチ)を発見し、
数十人でこれを退治したという。
この大蛇の身体から血潮が川水に混じると紫色の川となり、
七昼夜に渡りこの川下を染め続けた、人々はこの川を紫川と
呼んだという。

この大蛇の頭は、川を流れ川下の門鹿の樋口に流れ着き、そこの住民が
之を拾いあげ、幕の内地内に葬った。
その地が今も残る蛇盛塚である。

その方に出会わなかったら、知らずに通り過ぎてしまったでしょう、

「その塚はその盛り上がった処ですよ、そこに枝垂れ櫻がありますから」

その塚に明治の初め、三春瀧櫻の地より植樹したという見事な櫻が

咲き誇っていた。

大蛇(オロチ)の伝説は各地に残されている、

何も本物の大蛇ではない、川を大蛇に例えた伝説なのであろう、

塚を造って祀るのは、必ず恨みを抱いて死んでいった人の怨霊を

鎮めるために違いなく、この塚に葬られた人を偲ぶには

枝垂れ櫻が相応しいのかもしれない。

古人たちの厳しさと優しさの入り混じった枝垂れ櫻を

朝の光の中で何時までも見入っておりました。

其処に住む人にとっては当たり前の光景も、都会から

やってきた旅人には特別な感慨をもたらすことがあるのです。

桜が咲き誇っているのに其処に人の姿はない、

墨田堤なら、上野の森なら、あっという間に大勢の人が集まり

俄かに宴が始まるだろうに、桜を見たら宴会という短絡的発想は

もしかしたら江戸の庶民の特化した桜見の方法なのかもしれない。

途中で買い求めたおむすびとお茶を広げてひとりお花見としゃれ込む、

家の中から不審者を見つけたと、ワン公が吼えまくる、

やれやれ、日本は広いけれど安住の花見地は案外少ないものですよ、

すごすごとひとり花見を切り上げてあの桜に会いにいこう。

二年ぶりの『さくら』は美しい姿を惜しげもなく晒していた。

たった一本だけの ソメイヨシノ 

百年の時の果てに命を輝かせている

もしかしたら、もっとも美しく愛しいソメイヨシノかもしれないな。

『さくら』という名の薄倖の人の想いを重ねるにはこれ以上の桜はないだろう、

そのさくらもまたここに想いの丈を込めて桜を植えた男も、今はいない、

それでも桜だけは遅い春を忘れずに咲くのです。

「ああ、哀しいとは思うまい、愛しい桜であり続けよ」

桜にはいくつの物語が重ねられるのでしょうか・・・・