峠をひとつ越えるたびに秋が深まっていく。

安房峠を越える辺りから雨足はますます勢いを

ましておりました。

雨を承知でやってきた飛騨古川の町、雨が町に落ち着きを

かもし出している。

もう何度この町を訪れただろうか。

夏雲の形に歓声をあげたこの町の子供たちの輝いていた瞳

細い出格子をはめ込んだ町並みの気品と端正な姿に息を呑んだ

壱之町の用水路脇の佇まい、

八尾風の盆 の帰りに必ず寄った秋の宮川沿いの漫ろ歩き、

深々と降る雪を踏みしめて密やかに続く三寺参りの人の足音、

そしてかつては秋に行われていた例大祭としての古川祭は

生気に満ちた春の到来を告げる。

春の晩の起こし太鼓が生きている鼓動のように町中に響く時、

この町の人々のこころが一つになるのでしょう。

和紙の筒に燈芯を巻き、真綿でまとめた和蝋燭の芯に

木蝋を何層にも塗りこめていく気の遠くなる作業を

営々と伝え続けていた六代目三嶋翁にお目にかかったのは

風の盆 からの帰り道のことでした。

「人生は人との出逢いこそ命、

一期一会の出逢いを大切になさいよ」

そんな言葉をいただいてこの町を後にしたのが本当に

一期一会になろうとは・・・

翌年お訪ねすると、

「突然倒れるとそのまま逝ってしまいました」

七代目を継ぐであろう子息さんが答えてくださった。

本当に人の命の儚さを身を持って教えてくださった

のですね。

あれから三年ぶりの訪問に心が揺れています。

あまりの雨脚の強さに雨宿りに駆け込んだ店は

「壱之町珈琲店」という名の百年の時代を超えてたであろう

落ち着いた格子戸の店でした。

座った机に何気なく置かれた一冊の本、

「町を語る絵本*飛騨古川」廣瀬俊介著

「廣瀬さんの本ですね」

「廣瀬さんご存知なんですか、よくこの店にも来られるのですよ」

「彼は私と同じ町に住んでいる若手の有望な学者さんなんですよ」

この町で生まれこの町で生きる森本純子さんは美しい笑みを

たたえた言葉で答えてくださった。

彼女との話は尽きぬほどでした。

この町の一番の宝である可能性のかたまりのような子供たちの

未来へ何を残していくのか

真剣に語る彼女の瞳に三嶋翁の言葉が浮かび上がっておりました。

「人生は人との出逢いこそ命」

彼女との出逢いは廣瀬さんが導いてくれたのかもしれません。

私が三嶋翁から受け継いだあの言葉を、巡り巡ってこの

古川の町の方に伝えられたことは是こそが生きている証なのでしょう。

雨脚が弱くなった頃合を見計らって町を歩いてみました。

差し掛けた傘を突き抜けるように再び雨が叩きつけてくる。

学校帰りの子供が黄色い傘を揺らしながら近づいてくる。

雨を写しながら息を潜めた。

「おじさん、こんにちは」

「こんにちは げんきだね」

子供が当たり前のように誰にでも挨拶できる町、

私が其のことに驚いたのは初めてこの町に泊まった朝のことでした。

日本中どこの町でも消えつつあった子供たちの挨拶が

ここには残っているという安堵、

子供の姿はその町の大人の生き方そのものの鏡なのです。

身についた子供たちの挨拶に、この町の地に足の着いた

生き方を感じておりました。

変わらぬことがこんなにも心を豊かにしてくれるのですね。

目的を持って生きる、

進歩こそ活力の源(みなもと)

確かにそういう前を向いた生き方も必要でしょう。

でも時には当たり前のことを当たり前のように身に着けて

生きているということに気づいて欲しいと願うのです。

この町を訪ねるたびに其のことに気づかせてくれる、飛騨古川とは

そういう町なんです。

多分其処に住んでいる方々はきっと気づいていないでしょう、

だってこの町ではあまりにも当たり前のことなのですからね。