さて本日も祭りが目白押しでございます。

白鬚神社の例大祭

長浦神社の例大祭

高木神社の例大祭

それから昨日伺った素盞雄神社『天王祭』

とても全部廻るのはは無理ですよ、

地理的に近いことと、時間のずれを考えて三箇所なら

なんとか廻れそうだと、早速出かけてまいりました。

頼まれたワケでもないのにせっせと祭り行脚、

「バカでしょ!」

それでもね、祭り と聞けば何処へでも飛んで行くことに

「果たして氏子でもないのにその祭りの中に身を置いても

 いいものだろうか」

と思い悩むことがあるのですよ、

「祭りってなんだろうか」 という単純な好奇心から始まった祭り行脚は

繰り返される毎に、二つとして同じ祭りは無い事に気がつくのですよ、

祭りについて書き残された文献を読んでみても、これが祭りだということは

判らないままなんですね、

「祭りと祭礼とはどう違うのだろうか」

「日本人の気質の中に 祭りはどう関わってきたのだろうか」

いくら偉い学者さんの文献をあたってみても明快な回答などは

ないことを知るばかりなんです。

古い形の祭りの中には余所者を全く排除して密やかに続ける祭りも

ありますが、かなり昔から、祭りには宗教的意味合いとは別に、

見物という人々が集まってくることで段々美々しくて華やかさを

囲い込んで神を祀ることを大勢の人の総意とする様式を持って

 祭礼という形を作り上げたのではないかと思われるのです。

見物人も祭りの中に繰り入れられた経緯を知ると、なんだか

祭りに参加することの一部として居てもいいのではないか、

かなり独善的かもしれませんが、そう自分に言い聞かせて、

祭りとは何かを手探りで探すこともまた何かの役に立つかもしれない

と祭りがある処へ通い続けているのです。

実はこの国の信仰には仏教やキリスト教のように経典というものが

ないのです、

それではその信仰を受け止めるには「祭り」というたったひとつの行事を

通してでないと知ることが出来ないのです。

昔は専門の神職さえもなく、各々の御社を取り囲んで、目の前で

行われる行為と感覚で知らされるもので、その祭りに参加したもの

でなければ知ることさえ出来なかったのです。

年に何度か行われる祭事に参加しないことは、非常な損失であり、

なお、ハレの日の祭り以外には全くと言っていいほど語られることは

なかったのです、いや、神の話をすることさえ禁じられていたのですから、

祭りの日こそ神を身近に感じられる唯一の手段であったのでしょうね。

こうして一生に何十、何百と繰り返される祭りこそが生きる為の本源にまで

高められたことがこの国の信仰の姿なのかもしれませんね。

あまり理屈を捏ね回しても、祭りの楽しさは伝わりませんね、

何でも昔は、白髭神社、高木神社、長浦神社の合同神輿渡御が

行われていたとか、今はそれぞれ別々に祭礼が行われておりますが

なにしろ水無月の最初の土日に集中させたために、

「今年はどこの祭りにするかな」

と思案するのでありますよ、まあ、祭り狂いにはそれがまた楽しみで

ありますがね。

何でも昔は、白髭神社、高木神社、長浦神社の合同神輿渡御が

行われていたとか、今はそれぞれ別々に祭礼が行われておりますが

なにしろ水無月の最初の土日に集中させたために、

「今年はどこの祭りにするかな」

と思案するのでありますよ、まあ、祭り狂いにはそれがまた楽しみで

ありますがね。

昨年、初めて伺った長浦神社、参道代わりの道にはずらりと露店が

並び祭りの雰囲気はいいですな。

境内からは聞きなれたおかめ会社中による祭り囃子の鳴り物が

響いてまいります。

まずは本殿に手を合わせ、宮神輿を拝ませていただき神楽殿前へ、

今年は三年に一度の本祭りのようです、

「九番」の駒札が掲げられている宮神輿が本殿前に据えられておりますな。

この駒札の番号はかつての合同神輿渡御の順番を表しているのだそうで

駒札ひとつにも長い祭りの歴史が刻まれているのですね。

氏子青年会によって、いよいよ宮神輿渡御が始まりました、

神官様の御祓いを受け、若頭の一本締めで見事に上がった宮神輿は

境内で打ち鳴らされる祭り囃子に送られて町内へと巡行です。

朝から降り続いていた雨もすっかりあがり祭り日和でございます。

子供神輿が元気な掛け声と共にやってまいりました。

中でも、お揃いの宮元半纏を着込んだ子供たちの顔つきがいいですね、

大人神輿と全く同じやり方で神輿振りを見せた後、

見事な手締めでやり遂げた顔つきがいい若衆に育つに違いないと

思わせてくれましたよ。

神輿を担ぎ終えた子供たちは

直会のお菓子ににじり寄る姿いとおかし。

下町の下町らしさがこんなに残っている祭りは

そうあるものではないですよ、

(2016年水無月に記す)