浅草の事務所を出るといきなりの空っ風、

今年一番の冷気が日本列島を覆っているらしいじゃないですか。

こういう日は、東京というのは選択技が大変多いわけでして、

「空っ風が吹きつける日は夕焼けが綺麗なはず」

と、元気なら荒川の土手にあがって空っ風もなんのその、

西の空を見上げていたりするのですが、

いくら毎日散歩すると決めたからって、古来稀にみる年を

過ぎている身ですからね、無理して寒風に吹かれれば、軽くすんだ

風邪をぶり返すだけでございますよ。

気がつけば浅草駅から地下鉄に乗って15分、大門駅で降りて

地下道を歩けば、目指すビルはエスカレーターとエレベーターで

あっという間に地上150mの展望台へ、

まてよ、確かに便利だし、浅草からここ40階のビルの上まで

外気に触れないでやってこれたのですよ。

これって、便利だと喜んでいていいのですかね。

外が昼だか夜だかわからない地下鉄、

一定温度に管理された地下道、

ビルの展望台はガラス張り、景色は確かに美しく見えますが

なんだか、御伽の国を見ているみたいじゃないですね。

見渡せばすべて東京、

四年十ヶ月前の暗闇は何処にも見つけられず、どちらを見ても

煌々と照らされた灯りに包まれているのですよ。

東京で生活する者は、もうこの景色が当たり前になってしまった

のです。

時々流れる 原子力発電所反対!のシュプレヒコールも

この使うだけ使っている電気を消すことさえしないで叫び続ける

のでしょうか、

東京タワーが出来上がった時、アタシは中学生、教室の窓から

少しずつ高くなっていく東京タワーを毎日見つめておりましたっけ。

教室のストーブは石炭のだるまストーブ、冬の夕方などは街は

薄暗いのが当たり前でしたね。

まだ原子力発電所が無かった時代です。

本当に原子力発電所がいらないなら、自分達の生活をあの昔に戻す

意思がありますか。

一度便利さを味わった人間は、決して昔には戻らないのです。

生活水準を保ったまま、電力を使わない工夫を考えたヒトは

いないのですかね。

電気ストーブも、エアコンもない生活、

どうやって凌いできたかといえば、コタツ(炭や練炭ですよ)に

湯たんぽ、寝ているうちにしもやけが出来たなんていうのは

日常茶飯、それでも子供は元気に外を走り回っておりましたっけね。

自分の家だけを見ていても現実は見えてきませんよ、

たまにはこうして高みから街を見下ろしてみると、いかに無駄なことが

多いかが見えて気はしませんかね。

まあ、何も昭和三十年代に戻ろう とは申しませんが、

もう少し自重する生き方を模索してもいいのではないですかね。

望郷という言葉が浮かびます。

もう無くなってしまったふるさとです。

帰りたくても帰れないふるさと東京、

さらに、2020年を目指して、世界中に繁栄の証を見せつけようと

するのでしょうか。

あの1964年、東京は自らの手でこの街を復元不可能なまで徹底的に

壊し続けました、でもあの頃は、それが日本の力だと勘違いして

いたのです。

その 二の舞いを再び犯さぬように願うばかりです。