常陸の国は昔から常世の国と信じられておりましてね、

常世の国とは古代から信仰された海の彼方にあるとされる

異世界のことで、永久不変や不老不死、若返りなどと結び

付けられておりました。

そこはヒトの考える理想卿のことなんです。

常陸野を流れる川は豊な土を運び常陸野を地味豊な土地に

変えてきたのです、霞ヶ浦、北浦、涸沼などはその川がせき止められ

水豊な土地でもあったことが、もしかしたら常世の国と感じられたの

かもしれませんね、

万葉集の中で、「常世の浪の重浪寄する国」と詠われている

観念は、海から寄せる波は常世の国と直接結びついていると

信じたのもあながち夢物語とは思えなかったのかもしれません。

古代の人々にとっては、海とは太平洋や日本海のように先の

見えない海原だけではなく、目の前に広がる湖や沼も海の一部と

感じていたのかもしれませんね。

そんな常陸の里に楽しい祭があると聞いたのは、以前訪ねた

五町田祇園祭の中でのことだったのです。

(地元小学生の描いた行燈)

「その祭って何処でやってるんですか」

間髪いれずに尋ねると、

「涸沼の辺に大杉神社があるから其処を目指していくといい」

涸沼といえばあの夕照の美しいところですよ。

こうして次なる祭りの旅が続くのであります。

何年ぶりだろうか、涸沼の辺りには絶え間なく祭り囃子が流れ、

神社の前には大きく高い幟が風になびいていた。

何の予備知識もない旅である、これからどんな祭なのかを

聞いて廻ることになる、実はこの聞いて廻ることこそ祭り旅の

一番楽しいことなんですよ。

「昔から『あんば祭り』といってね、もともとは素鵞神社の「祇園祭」と

大杉神社の「御田植祭」が一緒になったものなんだよ」

何でも、素鵞神社は神塚神社の境内に祀られていたもので、

五穀豊穣を願って祭が始められ、涸沼の大杉神社は江戸時代に

霞ヶ浦の旧桜川村にある大杉神社から分けられたもので、

当時この辺りに疫病(天然痘)が流行し、死者が大勢出てしまった

ことに村民が協議し、疫病退散に霊験あらたかな「あんば様」を

迎えて始められた祭りとのこと。

旧桜川村の大杉神社には、佐原囃子のルーツを調べるために何度も

お訪ねしておりましてね。

そこでは今でも悪魔祓いの意味を込めてあんば囃子と踊りが続いて

いるのです。

もしかしたら、悪霊祓いの願いを込めて、桜川村の大杉大明神を

分祀するために此処下石崎の村人は大杉大明神にすがる想いで

この広浦から舟をだしたのでしょうか、

それは今から180年ほど前のことだといいます。

大杉大明神をお迎えして舟が広浦に戻ってきた姿を彷彿させるのが

この広浦あんばまつりなのかもしれませんね。

祭りひとつにも、人々の切なる願いが込められているのですね。

確かここ広浦を訪ねたのは4年前でした、

あの時からもう一度 広浦あんばまつりを見てみたいと

切に願っておりました。