四年前に訪ねた際は二日間の祭りでしたが、今回は一日だけの祭りに

なってしまったのは諸事情があるのかもしれませんが、

なにはともあれあの美しい光景が見られることでホッといたしました。

まずは湖畔の大杉神社に参拝、目の前の湖上にはすでに舟山車が

浮かび、風にのってお囃子が聞こえてくるのです。

湖畔には大勢の村人が舟山車が近づいてくる姿を待ちわびています。

遠く180年前の村人たちもこうして舟が戻ってくるのを

固唾を呑んで待っていたに違いありませんよ。

夏の空に夜の帳が覆い始めると、

船を繋ぎ合わせた船上に舞台が作られ、その舞台の上で笛、太鼓の音が

響き出す。集まってきた大勢の善男善女が周りを取り囲み出す。

大杉神社の海(涸沼)に向かって建てられた鳥居の傍で、何人かの若衆が

灯の入った提灯を振る、それが迎えの合図らしい、

沖から四隻の舟山車がゆったりと神社に向かってやってくる。

「嗚呼!神がやってきた!!」

そう思えるほど美しく煌びやかな舟山車の姿でしたね。

やがて舟山車が神社の前に乗りつけられると、お囃子の音が一段と

大きくなった。

四隻の舟山車の一層には御幣を手にした狐が乗っている、

岸辺に近づくとその狐は御幣を高々と上げながら大杉大明神に

御幣を捧げるのです。

このあんばまつりの一番大切な儀式に違いなく、

大神への感謝と悪霊退散の意味が込められていることを

ヒシヒシと感じるのです。

昨日見つめていた船渡御と同じ趣旨なのだろうか。

遠くに船山車の姿が浮かび、湖上をお囃子の音が波のようにひたひたと

響いてくる、

「なんてこった、こんな麗しい祭りだったのか・・・」

(この狐舞いにすっかり魅入られてしまった)

船舞台に現れた「きつね」が舞う、

この狐舞いは確か先ほど小浦の辺りでお目にかかった女性では

ないですか、

その舞い姿の妖艶さと美しさに惹き込まれてしまいました。

「ひょっとこ」が子供を従えて面白おかしく舞い踊る、

「おかめ」は腰をくねらせ、まるで神に媚を売るように舞う、

小幡はやしにのって神楽が始まった、どうやら浦島太郎を

思わせる筋立てらしく、眠っている浦島太郎から盗み出した

玉手箱をもどきのような男が開けると、真っ白な煙が立ち上り

その盗人はあっという間に老人になってしまった。

ここでは老人になってしまうのは浦島太郎本人ではなく

盗人とされているのです、子供達に神楽舞いを通して

教育しているのかもしれませんね。

獅子舞いが舟から降りると子供達のところへにじり寄る、

母親に抱かれていた小児はあまりの恐ろしさに泣き叫ぶ、

この世に恐ろしいモノがあることを実感として感じる

のですよ、しかし、この獅子舞に頭を噛んでもらうと

元気な子に育つのだ。

これでは、どんなカタブツの神様でも、目尻を下げて

「ウホッ ホッ ホッ」

とお笑いになられるに違いありませんよ。

いつ果てるともない船上の饗宴は繰り返し繰り返し続けられるのです。

それは、常世の国が此処にあることの証のようにね。

なんだか随分遠くまで旅をしてきた気分です、

だって、常世の国に行き着いてしまったのですから・・・

お世話になった方々に礼を述べると、その常世の国を後にする、

湖上を渡る風が、お囃子の音をいつまでも聴かせてくれている、

「ああ、なんと幸せな気持ちなんだろうか」

小湖の月が朧に浮かんでいた。

もしかしたら、このまま常世の国に留まってしまいそうな気分を

打ち払いながら都会へ向かって歩き出した祭り旅の途中のことでございます。