『今日そうであるように、女性が泣いている限り、わたしは戦う。

 幼い子供が飢えている限り、わたしは戦う。

 男たちが刑務所に出入りする限り、わたしは戦う。

 酔っぱらいが残っている限り、街頭に哀れな女性がいる限り、

 神の光を受けていない一人の魂でもある限り、わたしは戦う。

 終わりまで戦う』
            ウィリアム・ブース

社会鍋は、救世軍が年末などに行っている生活困窮者支援等の為の

街頭募金運動なのです。

今年も銀座の街頭に救世軍の社会鍋が登場した。

もう暮れの風物詩のように街に溶け込んでしまい、

今まで特別に寄付をしようという気にならなかったのです。

あの大震災が寄付行為に対する考え方をがらりと変えてくれたのです。

この日、日本での救世軍の活動ももう一世紀の歴史を刻んでいることを

教えられました、

「ブォ、フォ、ブォ、フォ!」

チューバの低音がビルの街に響く、

「社会鍋です、御協力をお願いいたします」

いつもなら素通りしていく街頭で足を止めたのは

こころのどこかに寄付するという行為が目覚めていたのでしょう、

その時、ツカツカとひとりの老婦人が歩み寄ると何か語り始めるのです、

チューバを持つ青年が頷くと、賛美歌が流れ始めた、

するとその老婦人はたったひとりで賛美歌を唄い始めたのです。

何と美しい声でしょうか、

私は瞬きもせずに聞き入ってしまいました。

唄い終わった時、思わず拍手をしてしまいました、

私はその老婦人に歩み寄ると

「心が洗われた様な気がいたしました」

アタシも一様賛美歌を歌う学校を出ておりますので

賛美歌の意味を思い出していたんですね。

もし、あの老婦人があの人込みの中で、唄わなかったら

私はその場を立ち去っていたでしょう、

たった一人の行為は、その行為の中に愛があれば、

それは人から人へ伝わることを教えられました。

きっとあの老婦人は、今自分に出来ることを精一杯心を込めて

行ったのです、

あの銀座の雑踏の中です、きっと勇気がいったことでしょう、

寄付とは、お金を出すことだけではなかったのです、

あの歌声を聞いた者にお金を出そうと決心をさせたのは

あきらかに老婦人の勇気と愛だったのです。

そして私は社会鍋に何の躊躇もなく寄付金をそっと入れました。

「あの震災で苦しんでいる人々へも寄付は届けられるのですか」

「はい、苦しんでいる方がおられる限り私たちは続けてまいります」

そして寄付を受け入れた証に一枚の紙を差し出しました。

そこには救世軍の創始者ウィリアム・ブースの言葉が

書き込まれてあったのです。

その言葉を読みながらジョン・レノン曲を思い出しておりました、

Imagine there's no Heaven

It's easy if you try

No Hell below us

Above us only sky

Imagine all the people

Living for today...

(想像してごらん 天国なんて無いんだと
 ほら、簡単でしょう
 地面の下に地獄なんて無いし
 僕たちの上には ただ空があるだけ
 さあ想像してごらん みんなが
 ただ今を生きているって...)