今や下町の代名詞みたいな浅草も、かつては江戸の端っこで

周りは田圃だったなんて聞いたって、現代の賑わいを目の当たりに

すると想像することさえ出来ませんですな。

大体下町っていうのは、路地から路地を巡っているといつのまにか

隣町へ紛れ込んだりするもので、近所同士でも仕切りなんぞつける

習慣がありませんから、隣町もみんな仲間みたいな気分でいるんですな。

多分、そんな和気藹々とした気性は祭りにあるのじゃないか、

なんて思うわけで、特に浅草の祭りは神輿祭りですから、

みんな意気を合わせないと神輿祭りは旨く行かなくなるわけで、

神輿が取り持つ縁が近所付き合いをスムーズにさせているのかも。

ところが、浅草の隣町には、向島や本所があるのですが、

そこには深くて広い隅田川が流れているので、

つきあいがブッツリと切れてしまっていたんですな。

(三囲神社)

江戸の昔は、幕府の方針で、この隅田川には橋が

かけられなかったのですよ、

明治になるまでは、千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋の

四橋だけしかなかったので、隣町への行き来は渡し舟に

頼らざるを得ないわけで、川というのは

人とのつながりを遮断してしまうわけですよ。

それじゃ、現代はどうでしょうか、どんな川にも橋がかかり、

隣町へは自由に行き来ができるわけで、昔のように気持ちの

隔たりはないだろうとは思うのですが、浅草から隣町向島へ

歩いてみると、

空は気持ちのいい青空でも、橋を渡り始めると北風がまともに

吹きつけてくるではないですか。

車や電車に揺られていけばなんとも思わないけれど、こうして

昔のように歩いてみると川を渡るというのは実際の距離よりも

気持ちの中では遠く感じるものですな。

向島で用足しを終えて、再び橋を渡ってくる頃には、すっかり気持ちが

萎えてしまいました。

こういうのを 精神の結界 というのですかね。

隅田川は昔も今も広くて深い結界なるかな。