カレンダーなんていう便利な暦が無かった昔は

庶民はどうやって区切りをつけていたのか興味が湧きましてね、

江戸の昔、八つぁんも熊さんも字なんか読めやしませんから

どうやって師走を過ごしていたのか・・・

はたと行き着いたのが 歳の市、

師走も十五日を迎えるとまず深川八幡で歳の市が始まるんですよ、

えっ、歳の市ってなんだ ですって、

歳の市ってのはね、正月を迎えるために門松や〆飾り、羽子板や正月用品を

売る店が各地の神社仏閣に市をだすんですよ、

勿論即席の露店ですがね、中には 臼に杵、まな板に笊、箒、

門松用の松、竹、海老、こんぶ、だいだい、なんてモノがずらりと並ぶわけで

まあ、深川八幡の歳の市では、まだ切羽詰まっていませんからのんびりして

いたでしょうな。

十八日になると浅草観音の歳の市、羽子板や縁起物を商う店がずらり、

だいぶ年の瀬が近づいてきたことを知るのですね、

その歳の市も、神田明神、芝の愛宕神社と廻るうちにいよいよ

押し詰まってまいりますよ、二十五日は平川湯島の両天神で歳の市、

八つぁんも熊さんも

「いよいよ大つごもりが近づいたな」

なんて感じる年の瀬、

最後は薬研堀不動尊の納めの歳の市でどっと人出が集まったとか、

この歳の市は下町の情緒豊かな歳末風景を醸し出し、みんな自然に

年越しの支度を忘れずに出来たというわけだったんですな。

江戸の昔から続いていた歳の市も、今に残るのは浅草観音くらいに

なりましてね、

この薬研堀の不動様もあの先の戦争ですっかり寂れる一方、

しかし、其処は老舗のお不動様、地元の問屋街の人たちが下町の風物詩を

後世に残そうじゃないかと立ち上がったのでございますよ。

昭和40年から再び息を吹き返した歳の市は、「大出庫市」を併存しながら

今年で半世紀、昔のよすがは比べるつもりはありません、

歳の市は人が集まらないと自然に消えてしまうもの、

今は、衣料品問屋さんたちのやる気が客を呼び込み始めたようです。

お不動様に手を合わせていると階段の下でなにやら大きな笑い声、

何事が始まったのかとおそるおそる近づけば、辻講釈の始まりじゃないですかね、

浅草にいると、落語、浪花節、講談(昔は講釈)、大衆演芸なんていうのは今だ

現役で見たり聞いたりできるので珍しくはありませんが、辻講釈が聞けるとは

早速お不動様のご利益がありましたよ。

そういえば、毎月28日に講談協会の皆さんが、ここ薬研堀不動尊で奉納講談を

やっていると聞いていたのですが、なかなか機会がなくてね、

師走の28日は納めの不動で歳の市が開かれておりますでしょ、

人間国宝の一龍齋 貞水師匠の尊顔をちらりと見受けておりますと、

いよいよ辻講釈の始まり、

講談(講釈)というのはもともと「太平記」を語ったことが始まりですから軍記物が

多いのですよ、

まずは軽く集まった客の興味を逃さぬように軽口で笑わせ、すかさず塗りのお盆を手に

ひとまわり、辻講釈の醍醐味は、ホールで木戸銭払うのとは違って、客が投げ銭する

ところにスリルがあるのですよ、最初の客がチャリンなんて小銭を投げ入れると

次の客は「小銭でいいのか」とみんな小銭になっちまうというところが際どいので、

話の面白さとと早口などを混ぜて

「おお、凄いじゃないか」

と思わせると、お札が集まりだすのでありますな、

お祭りであのフーテンの寅さんの啖呵売に似てますが、寅さんは売る品物があるので、

客も判断しやすいのですが、辻講釈は話のネタだけですから話術に魅力がないと

小銭になっちまうどころか客が居なくなっちまうところがスリル満点なんですな。

それにしても、近頃の講釈師は圧倒的に女性軍が幅を利かせているらしいですな、

ムツケキ親父が目を吊り上げて軍記物を語るより、粋なお姐さんの語りのほうが

受けがいいのかもしれませんですよ。

さすが真打揃いですから入れ代わり立ち代りで時間も忘れるほど楽しませて

もらいました。

これでお札一枚じゃ申し訳ないみたいでしたよ。

小1時間ばかり楽しませていただいた後で、その場に集まったみなさんと年の瀬の

三本締めで無事お開きとなりました。

そうそう肝心の歳の市でしたっけ、

新しいまな板とお供え用のウラジロ、だいだいを

所望いたしまして、そうだ、御屠蘇も用意しなければと馴染みの薬局で購入、

あの、御屠蘇はお茶屋さんじゃ売ってませんからね、御屠蘇はレッキとした薬

なので薬局で扱っているんですよ。

今年もなんとか 薬研堀納めの歳の市は続いているようです、

折角息を吹き返した納めの歳の市、これからも永く続いて欲しいものですな、

下町の一年のけじめをつけるためにね。