以前雨の中訪ねた六浦(金沢八景)は、鎌倉に勝るとも劣らない

歴史を残す古地にすっかり魅入られてしまいました。

鎌倉時代から続く寺社が今もあり続けている地を、

のんびりと歩いてみたいというのは旅を愛する者には

この上も無く幸せな気分をもたらせてくれるものなのですよ。

昨日は明治前期の野島を訪ねましたが、称名寺へ続く古道には

歴史の香りが漂っているのです。

連休後ということもあって、どこを歩いても静かな道です、

平潟湾を後に、牡丹が美しい龍華寺、

私の住む街の法華経寺縁の安立寺、洲崎神社 など

かつて金沢八景と浮世絵にまで残された地を想い描きながら

称名寺 への坂道を登る。

噂には聞いておりましたが、何と美しいのでしょうか、

山門を潜ると仁王門に向かって桜並木が続いている、

もう葉桜ではあっても、その麗しき気配にはただうっとりと

見つめるだけでありますよ。

称名寺といえば、謡曲「六浦(むつら)」の舞台になった寺、

いかにしてこの一本に時雨けん

    山に先立つ庭のかえで葉

と詠んだ中納言冷泉為相卿は鎌倉からここ六浦の称名寺を

訪ねたという、

紅葉の季節は想像するだけですが、一木だけ色づいた楓に

まるで人に例えるようにこう話しかけたのだろうか、

楓は「功なり名遂げた上は、身を退くのが天の道」

という老子の言葉を想い、それからは紅葉することを

止めてしまったという、

私がいつも妄想する話は昔から歌詠みの世界では

当たり前のようにあったのです、

日本人の心のありようとはかくも豊かだったということですよ。

季節は正に新緑の候、

金沢、稲荷、日向の金沢三山を背景に阿字ヶ池の向こうに

金堂、藁葺き屋根の釈迦堂、金沢八景に詠われた鐘楼が並ぶ様は

まさに浄土を想わせる光景です。

執権北条義時の孫にあたる実時はここ金沢(かねさわ)の地に

別邸を構え、邸内に母のために建てた持仏堂がその始まりだという。

ニ代顕時から 三代貞顕はこの地に七堂伽藍を構えた大寺院を

現出させたといいます、

しかし、北条一族が滅亡すると、称名寺は急速に衰亡の途を

たどることになってしまう。

寛永年間、沢庵和尚が訪ねた折は、無残に荒廃した寺の様子を

書き残している。

昭和を迎え、10年の歳月をかけ、浄土式庭園は復元されたのです、

こうして池の辺りに佇むと、かつての古人の想いが浮かんでは消える、

ああ、諸行無常なるかな。

あの仁王像も鐘楼の鐘も、七百年の昔をそのまま残し続けているという、

つい数年前までは、除夜の鐘が鳴り響いていたという、

しかし、

「称名晩鐘」も710年の経過と共に老朽化が進み、重要文化財保護の為、

市民に親しまれてきた除夜の鐘も中止になってしまった。

これも歴史の一部かもしれませんね。

毎年五月最初の日曜日には、ここ称名寺境内に能舞台が作られ、

薪能がもようされるという。

いつかこの浄土で演じられる薪能を味わってみたいものですね。

(下戸の旅の楽しみはコレ)